受付は早稲田のチア・リーダー達でした。
弔辞を読んだ大の男3人(北の富士と、御友人とアナウンサーの生島ヒロシ)が、大泣きしました。
御友人は、「そっちでうまい店捜しといてくれ」と泣きました。
北の富士は、「俺は、日本人の横綱を見るまでは死ねないんだ!」と、泣きました。
生島ヒロシは、聖書の伝道の書を引用しました。僧侶達の前でいい度胸だと思いました。
出棺は皆で拍手で送りました。
元応援団が「龍虎!」と叫びました。
本当に良い葬儀でしたよ。
貴子さんが「亡くなってもしばらくは耳が聞こえるのだと聞いておりましたので、感謝をたくさん申しました」と言っていたのが印象的でした。
龍虎さんは、早稲田の応援をするチア・リーダーの娘の応援にいつも来ていて、(早稲田の応援ではなく、娘の応援)試合が終わった時に、「ところで今日の試合はどっちが勝ったんだ?」と訊いたというエピソードを残しています。
今年の正月2日には駅伝の応援に出発の大手町で会い、帝国ホテルで朝食をご一緒しました。私が日本酒を頼むと、龍虎さんも頼み、奥さんに止められて、
三石「お正月ですから、いいじゃないですか?」と言うのを「ねえ?」と見上げたいたずらなお顔が最後になりました。子供達には「死んだら富士山を見て父だと思え」と言い置いていたそうです。
安らかにお休み下さい。 アーメン
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