玄一さんのチェロを聞きに行く。
クラシック音楽を日本人の身近な娯楽にしたいという玄一さんの願いが叶いつつあって、テレビ番組になりました。
そのメンバーのコンサートで、いそいそとJTホールへ。(ここはいまだにホールに灰皿があります。)
プログラムは、本物のクラシック初心者が楽しめるように配慮され、玄一さんのトークも楽しみのひとつなのですが、時々、わからんことをいう。
「ベートーヴェンは、”嫌になって死んだ”ですから、時代的には…。」
と玄一さんが話していると、後ろの席のご婦人方が、
「何を嫌になって死んだのかしら。」
と言う声が聞こえた。
玄一さんは、ベートーヴェンの没年を1827(イヤニナ)って死んだ、と言っただけなのですが、やはり音楽家の常識はいきなり何気なく話されても困る人もいるのでしょう。
バッハに素晴らしいテーマを与えた”フレデリック大王”の話になって、司会者と、
「あのジャガイモの?」
「ええ、じゃがいもの。」
…って、何のことだよ?
家に帰って早速、”フレデリック大王 じゃがいも” で検索。
ほお、そうでしたか。
フリードリヒ大王(フレデリック2世)
ドイツで初めてじゃがいもが栽培されたのは1947年。
宮廷庭師ミヒャエル・ハンフと宮廷植物学者ヨハン・ジギスムンド・エルスホルツによってオランダ庭園に倣って作られた観賞用の植物だったそうだ。
その観賞用のじゃがいもを食用として広めたのがフリードリヒ大王を代表するドイツ・プロセインの大王だった。
大王の”じゃがいも宣伝”は、”出征宣伝”と同じくらい有名だとあるが、どっちも知らんよ。
7年戦争での兵士達の空腹を満たすことと戦後の食糧難の解決に役立ったらしい。
この”じゃがいも宣伝”は、ベルリン一帯に栽培したじゃがいもを兵士に警備させて、農民達にその高価さ、貴重さを宣伝すること、また、兵士には「あまり厳重に警備をするな」と命じて、兵士の目を盗んでじゃがいもを盗ませ、自分達でこっそりと栽培させるというものだったそうな。食べるように勧めても、ドイツの農民は知らない食べ物は口にしないという習慣があったので逆手にとったものだったそうな。
この思惑は見事に的中したらしい。本格的な栽培が始まったのは19世紀で、現在では50種類もあるんだそうな。
人間の知識は一度得てしまえば“常識”になりますから、今度誰かが「フレデリック大王が…」と言いさした時には、
「ああ、あのじゃがいものね、」
と反応できるというもの。
めでたし、めでたし。
フリードリッヒ2世(1712~1786)
バッハ (1685~1750)
ベートーヴェン (1770~1827)
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嫌になって死んだ…です
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