『武士の家計簿』の磯田道史による『無私の日本人』の中の穀田屋十三郎の話が、またしても映画になったというので見に行く。阿部サダヲも気になるし…。
磯田の作品は面白いのだけれども、自分の能力を越えて司馬遼太郎なみに歴史分析をしようとしているのがウルサイ!!文中で、そこはもういいから、あなたの話は聞かなくていいから、ストーリーを先に進めてちょうだいよ、と思うところが何ヵ所もある。
映画はおもしろかった!大胆に、途中をバサバサ切ったり、膨らませて泣かせたり、うまいなあ、と感心。三石にはとてもできない決断がいくつもいくつもあって嘆息。
原作には東北人の(仙台藩の)気質として書かれる粘り強さや楽天性や人の好さが、映画では、マンガみたいな好運に集約されていて退屈させない。
殿様役のチョイ役で羽生結弦くんが登場。姿勢がいいからサマになっていました。
本には(映画公開に伴って文庫本も発行された)穀田屋十三郎の他に荻生狙来の弟子となった中根東里(この人、知らなかったなあ…)や、大田垣蓮月が収録されていて、偉い日本人というのはいるもんだ!と、ちょっと嬉しい気持ちになります。
中根東里の庵の壁に書かれていた言葉の中に
出づる月を待つべし。散る花を追ふことなかれ。
というのがあったそうで、いいねえ。
水を飲んで楽しむ者あり。錦を着て憂ふる者あり。
ごもっとも。
映画の話に戻ると、貧乏な村を救うことに奔走した何人かが申し合わせの署名で「子々孫々、会合の時には下座にすわること」を決めたというのも面白かった。原作はちょっとニュアンスが違うけれども、大意は同じ。
聖書には
あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。
(マタイ伝6-3)
というのがある。私はこの翻訳(性格な直訳)がとても気に入っている。ちなみに英語の翻訳ではABSでも、イギリスのHarper Collinsでもちょっとおもしろくない。
But when you help a needy person, do it in such a way that even your closest friend will not know about it.
聖書というのは英語からの翻訳ではないので、日本語の訳の方が数段すぐれている場合がよくあるんです。
右手のしていることを左手にも知らせるな…って、ちょっといいでしょ。そういう日本人が昔も今も大勢いることを忘れないようにね。
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