映画『聖の青春』

 

 棋士・村山聖の実話物語。

 

 「どうだった?」と訊かれたが、何せ暗い苦しい話なので、「見てくれば?」とは勧められなかった。

 

 羽生との対局を見ていた人が、

「あんな息苦しい所には一分もいられない」

 と言っていたが、スクリーンのこっち側まで息苦しかった。

 

 松山ケンイチは歩き方まで実物にそっくりで胸を打つ。

 Death Note であんなにガリガリのLをやっていた同じ男だと思うと、役者というのは凄いな。

 

 原作が『聖の青春』なので仕方ないのだが、青春しかなかった人間の人生に ”青春” というのはあんまりだという気がした。

 <名人になって引退してゆっくりする>のが夢だと語るのが苦しかった。

 

 怠け者の話に、

「なぜ、そうあくせく働く?」「金をためるため」

「金をためてどうする?」  「ゆっくりする」

「じゃ、今の俺と同じだな…」

 というのがあるが、人が生きるとはどういうことなのか、ただ迫力だけを感じた。

 

 村山聖はたとえ健康体に生まれていても破滅型の人間なのだろう。

 酒と女とギャンブルに生命をすり減らしたのだろうと思う。

 

 人が生命を生き切るというのはどういうことなのか。

 破滅型などと呼ぶのは他人だけで、生き切るにも天賦の才があるのかもしれない。

 汚さ(不潔)までが凄味になっていた。