今年のウィーン・フィルは、リッカルド・ムーティ―が振るというので、年末から楽しみにしていた。
元日の録画をくり返し見ていて、ミイ(猫)に遊んでくれと泣(鳴)かれた。
ムーティ―が、シカゴ・フィルの常任指揮者になった時、シカゴに行って、前夜祭から2晩続けて演奏会に行った。初日のステージが終わった時、彼は
「皆さんの持っているステージの半券で、今夜私が予約しているホテルでのPartyにご招待しますから、どうぞ。」
と、言ったのだが、こちらは旅行者の身の上であり、シカゴなんて、リムジンで乗りつけるゴージャスなcoupleが闊歩するところですからね、日本人の名誉のために、三石はご遠慮申し上げたのでありました。
それにしてもムーティ―は格好良いです。イタリア人だからという偏見ではないのでしょうが、本物のマフィアのメンバーに見えます。
ホテルのロビーで出くわした知り合いによると、「バックにGod fatherのテーマ曲が流れていた!」という雰囲気だったらしい。
閑話休題
ムーティ―が振るというので、年末からウィーン・フィルに関する特番をこまめに録画しておいた。それを夜中に見るので、この一週間はとても忙しい思いをしたのだが、面白かった。
ウィーン・フィルに所属する音楽博物館で、負の歴史の正式展示が始まったという。
ウィーン・フィルは第2次世界大戦中は、ナチスドイツに協力して来た。
ナチスドイツは、民族主義発揚のため、音楽を積極的に活用し、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は、式典で頻繁に使われ、ドイツやオーストリアの軍需工場では慰労音楽会も盛んに行われたそうだ。
それって、音楽の使い方として正しいよね、と思って見ていたのだが、その前があった。
ナチスは1938年にウィーンを併合するや、ウィーン・フィルに解散命令を出したらしい。
だが、ウィーンの人々を懐柔するために解散を引っ込めて、ナチス党員の楽団員を幹部に就任させた。(カラヤンも党員だったものね。)
当然、ユダヤ系の楽団員は退団に追い込まれたし、コンサート・マスターだったユリウス・シュトヴェルトカ以下6名は強制収容所に送られて、そこで生命を落としている。
色々な番組が色々なことを言っていたが、「ヒトラーが、懐柔のため残そうという決断をしなければ、ウィーン・フィルは消えていました。」というのもあった。
1938年から思うと、人が普通に素直に過去を振り返るのには80年の時が必要だということなのだろうか。
そういえばシカゴではまだカポネ記念館はなかったなあ。そろそろできるかな。
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