2017年

12月

29日

南方熊楠展

 

 孫達にクリスマス・プレゼントを買ってやろうと思って上野の国立科学博物館に行った。

 ティラノサウルスとトリケラトプスを買おうと思ったのだ。

 それで、その序にもう一度アンデス展に寄り、さすがに3回めなので時間に余裕があって、常設展の方をふと見る。

 

”100年早かった智の人・南方熊楠”

 というポスターが目に入り、ダッシュで2階に駆け上がる。三石は変人好きなのである。

 

 面白かったのは、南方熊楠は森羅万象を探求した「研究者」とされて来たが、そんなものではないという主張だった。

 

 まして植物学者や粘菌学者などではない。なぜなら、論文はないし、絵が下手すぎるというのである。

 それではこの変人は何なのかといえば、「情報提供者」なのだという。資料を広く収集し、蓄積し、提供しようとした男だったというのである。

 

 今の、インターネット社会にこそ、こういう人がどんなに活躍できただろうと、各方面の学者たちがぶしぶし言っているビデオが面白かった。

 

 展示品の書簡、日記、抜粋、写生ノートやメモ書きが並んでいたが、ぐっちゃぐちゃで、熊楠の頭の中が、どんなに爆発していたかが良くわかる。

 興味のあることが一つでもあって、あの筆写がひとつでも読み解ければ、研究者にとっては宝の山であり、道しるべになるのだろうなあ。

 

 このコンピューター時代、誰ぞ、あれをきちんと分類して誰でも理解、検索ができるような物をつくらないか。

 南方の人生は彼一代では終わらないし、それをしないと彼の正当な評価もできずにこのまま終わってしまう。それは惜しい。

 人間の人生は、一代で完成するものではないんだなァ。

 

 因みに、上野はパンダのシャンシャン・フィーバー+国立科学博物館にはプレゼント用の箱も袋も用意がなく=パンダを抱えて歩く人の波の中、ティラノサウルスとトリケラトプスを抱えて歩く三石は、みんなにじろじろみられた!!

 それで気づいたのだが、恐竜好きは息子であり、私はそれにつきあっていただけだと思っていたのだが、実はそうではなくて、私自身が恐竜好きなのでありました。

 孫が喜ぶかどうか、知らんし…。

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2017年

12月

21日

映画『Destiny 鎌倉ものがたり』を見る

 

 昔から西岸良平が好きで、『鎌倉ものがたり』は、30年以上も前から読み続け、買い続けて来た。

 

 平安時代の日本人は日常生活の中に妖怪が存在し、それらに直に触れることさえできたに違いないと思っているのだが、それが現代日本の鎌倉という設定は秀逸だと、かねがね感心していたのである。

 

 その実写版なんて、果たしてうまくいくのだろうかと恐る恐る足を運ぶと、映画館は予想通りのガラガラで、シルバーだらけなのであった。

 

 だが、しかし…私には『ハリー・ポッター』程度にはおもしろかった。黄泉の国での冒険は、思わず手に汗握るほどだったのである。

 

 マンガ原作の中に出て来る猫が気になっていたが、さすがに難しいらしく登場せず。その代わりといってはナンだが、田中泯が貧乏神の役で出て来たので驚いた。

 一色正和(堺雅人)の妻(誰だか知らん)は、原作以上に清々しく、無邪気でイヤ味がなく、大いに気に入った。

 

 鎌倉かァ。変に近いので泊ったことがないのだが、夜の鎌倉なんて、散歩してみたいものだ。田中泯のような貧乏神と出会えぬでもない、という気がするのである。

 

 きっと、この映画は評判にならないと思うが、面白うございました。黄泉の世界は、中国の風景だと思う。

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2017年

10月

31日

『日の名残り』を見る

 

 Bunkamuraでの一週間限定、特別上映。

 

 原作は、英語で読んでいるのに、まるで日本語で読んでいるかのような静かな文体で、日本語で読み直した時には、まるっきり同じ物を二度読んでいるような錯覚だった。

 そして映画も、その雰囲気を全く損なわず、静かでていねいな描写が続いていた。

 

 言いたいことを言わぬ腹芸というものができるのは日本人だけと思いがちだが、こんなふうに見せられると、英国の貴族文化の奥行きにじんわりと感動した。戦国時代の日本の君主と家臣のような話法と礼儀と価値観が、見る者に静かに訴えかけて、カズオ・イシグロでなければ切り取って見せることができない形として残った。まずは重畳。

 

 

 月曜日だというのに満席だった。

 最後の場面で、屋敷を買い取ったアメリカの富豪(引退した下院議員)が、

「昔、この部屋に招かれた時、皆が好きなこと(政治的発言)を言ったけど、あの時、僕は何と言ったっけ?」

 と訊くと、執事が

「存じません。私は私の仕事をしておりましたから。」

 と、言う。アメリカ人は、自分の発言を忘れていたのである。

 執事は「存じません。」と答えることが正しい執事の発言であるからそう答えたのであって、覚えていたのだ。そういうことまでが、映画の最後のあたりになると見る者が全て、理解してしまう。腹芸の文化に飲み込まれて行く。

 原作も、翻訳も、映画もそれぞれに大変けっこうなことでした。

 

 NHKの『ダウントン・アビー』も見どころが多いが、『日の名残り』は、執事の目(主人の快適さ、名誉、財産、人生觀を守り楽しむことを誇りにして生きる者の目)から描かれていて、それがかえって鳥瞰図のように世界が見え、私には心地良かった。

 

 5才までしか日本にいなかったというカズオ・イシグロだけれども、まだまだ若いので、今後の作品を楽しみに待ちたいと思う。

 

 ノーベル賞も、まだまだ人生のゴールとは言えない時代になって来た。

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2017年

9月

11日

神とのコラボについて

 

 教会読書会では、John Dominic Crossan(ジョン・ドミニク・クロッサン)を読み終えたところなのだが、このテキスト(The Power of Parable たとえの力)の中で、collaboration(コラボ)という言葉がよく顔を出し、先生は”協働”と訳された。

 

われらなくして神なく、神なくしてわれらあり得ず聖書の全てのたとえは参加型教育である。イエスは参加型、または協働型の終末思想を宣告して、神の国は神による一方的介入行為ではなく、神と人間の協働による双方的行為であると告知した(デスモンド・ツツ)」

 

「イエスの史的生涯の力は、少なくとも一人の人間が神と十分に協働できたという証明で、信奉者たちに挑んだ。エミリ・ディキンスンは、『灰があることは火があったこと』と書いた。かつて火があったのなら、またあるかもしれない」 ああ、本当に良い話だった…。

 

 という内容を読み終えた途端、一人が「私、Emily Dickinson の映画を見て来たばかりなの。岩波ホールで今、やっているの。混んでいませんよ。」と発言したので、その流れで岩波ホールへ。

 

 驚いたのは、おそらく一語も逃さずにdictationできると思われるスピードでの正しい発音。

(テレビ・ドラマでも70年代の『刑事コジャック』までは何とか聞き取れるが、今のアメリカ・ドラマなんか、半分も聞き取れないスピードで話すものねェ。)

 

 しかし、映画自体は何の魅力もありませんでした。生涯のほとんどを生家から出ずに過ごし、詩作にふけるなんて…これじゃ神さまは愛してくれなかったでしょうよ。人は神とコラボして生きて楽しまなくっちゃねェ。

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2017年

8月

17日

読書について

 

 スコセッシュ監督による『沈黙・サイレンス』で、トモギ村の隠れ切支丹としての重要な役目を、オーディションで勝ち取ったという塚本晋也。

 

 その彼が一昨年、大岡昇平の『野火』を映画化した。監督ばかりでなく、脚本も主演も彼である。

 

 楽しみにしていたのだが、大きな映画館では上映されなかったので、気を付けていたのに見そびれてしまった。

 

 それが何故か、今年、八月十五日の一日だけ、渋谷のユーロスペースで二回上映するという情報を得た。

 

 今度は必ず見ようとぎりぎりまで日程を空けていたのだが、どうしても十五日にしか来られないという生徒がいて、断るわけにもいかずに涙を飲んだ。

 

 

 以前、市川崑による『野火』は見たことがあって、見比べてみたかったのだが致し方ない。生徒の方が大事だもんね。いや、ホント。

 

 だが、これが三石がダビデ(=神の御贔屓)と呼ばれる(…って自分で呼んでいるだけなのだが)所以で、十三日の日曜日の夜にミイがTVのリモコンを踏んだら、いきなり塚本晋也の『野火』が始まるところだったのである。どうよ? わはははは。

 

 もとい。読書の話である。

 『野火』を初めて読んだのは高校一年生の夏だった。生への凄まじい執着の中で神を求める魂の流浪の果ては、「この世は神の怒りの跡にすぎない」と結論する。食料も無いフィリピン戦線で、追い込まれて狂人となって行く主人公・田村は、大岡昇平その人であり、その自他の決定的な溝、魂の永遠の孤独は、高校生ごときが見てはならぬものであった。しかし、それにもまして何よりも印象に残ったのは、大岡の流麗な文体である。崇高な魂から絞り出された美しい日本語だと思った。文章のいくつかは声に出して読んでみたりもしたのである。

 

 高校生の頃、あるいは青年前期(女に青年というのは違和感があるが、他の言葉ではしっくり来ない)の読書の凄い所は、経験がないゆえに、作者の意図が突き抜けるように理解できるところにある。書き手の核心をいきなり理解してしまうのだ。青年期に読書をしなかった者は、大事な能力を無駄にしたと思う。成人してからではそうは読めない。自分の経験が邪魔をして、おかしな経験値や先入観から作者の魂になかなか手が届かないのである。つまり、高校生の私は『野火』を完全に理解していた。戦争など知らなくとも理解した、のである。

 

 だが、今回、塚元の映画『野火』を見て、元の小説がわからなくなった。

 塚本は塚本なりに『野火』を解釈し、それを映画化したのだが、それを見た私の脳ミソはぐちゃぐちゃに煮えてしまったのである。

 

 『野火』自体がわからなくなった。映画を見る前までは小説『野火』の説明が完全にできたはずなのに、見終わったら自分の言葉が消えてしまっていた。もはや、原作の小説さえ一行も思い出さない。これは何としたことか。市川崑の白黒映画では、こんなことはなく、小説は厳然として私の頭に残っていたのに。

 

 この映画の感想は語りたくない。語ってはいけないものだと思った。日本語の美しさも全て消えた。そうして、大岡昇平を読み直そうという気力もなくなっていた。私の受けたこの衝撃は、このまま深く身体の底に沈殿して固まっていくのだろう。火葬場で焼いたら転がり出るかもしれない。

 

 八月十五日の早朝、私は靖国神社に行き、ただ頭を下げて帰った。

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2017年

7月

24日

神宿る海の正倉院 沖ノ島写真展 by 藤原新也

 

 宗像大社の特別許可を得て、禊の後に撮影に挑んだ藤原新也の写真展。

 

 女人禁制の上、島の一木一草持ち帰ってはならぬという神の島。

 

「私が見た物と同じ物を皆さんにもお見せしたい。」

 と、デパートの催事場の床から天井までの大写真。

 

 撮影に立ち会った宗像神社の学芸員は、いつしか正座で見守ったという。

 

 会場は、「ご自由に写真をお撮り下さい。」とあって、皆、写真を写真に撮っているのだが、その光景に全く違和感がなかった。

 

 島から出土した約8万点ものご神宝(銅鏡、翡翠の勾玉、純金の指輪、ササン朝ペルシアのカットグラス)よりも何よりも、巨岩や、人間に踏まれるのを拒絶しているかのような渡り石や、社の雰囲気に大和朝廷の国家祭祀が思われて実に不思議な感覚に陥った。

 

 福岡県、玄界灘に浮かぶたった周囲4kmの孤島。今でも毎日、宗像神社の神職がたったひとりで祝詞をあげているという。

 

 そんな場所をユネスコが世界文化遺産に登録したというのだが、係の人たちは海で禊をして上陸したのだろうか。女人禁制の場所に、外国人なんか上陸させたのだろうか。

 

 藤原は「呼吸を止めて、弓道の矢を放つように集中して撮影していた」らしい。

 

 ビデオ映像の中で藤原が、おもしろいことを言っていた。

 

「人間は最初に産声をあげた時、吸い込んだ空気の90%を吐き出すが10%は肺の中に残る。ふた呼吸めもまた90%吐き出すが、10%は残る。そうやって残った空気は、どんどん入れ代わって、最初の呼吸の分は、どんどん薄くなってはいくが、死ぬまでなくなることはない。沖の島というのは、その最初のひと呼吸の、肺の中に残存しているようなものだ。」

 だって。

 

 ネットで自己がたやすく拡散してしまうような時代に、内に向かって圧を高めるような感覚なのだろう。

 

 中高の先生方は、こういう展覧会を宿題に出してくれればいいのに。

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2017年

7月

10日

国立博物館にタイ展を見に行く

 

 タイに仏像を見に行ったのは、1976年の暮れだから、今から40年以上も前のことになる。

 

 

 その後、家族旅行で行った時には、子供達を象に乗せたり、プーケットで遊んだり、プールサイドで読書をして歌や踊りを楽しんだり、ムエタイを見たり、ごちそうを食べたりで忙しく、まともに仏像を見ていない。

 

 もっとも40年前に仏像を見に行った時ですら、寺院には英語の解説もなく、まともな博物館もなく、私の方にさえ ろくな知識もなかったので、一体、何を見て来たことやら…。

 

 ただ、その後見た ありとあらゆる仏像とは全く違った雰囲気だったことは強烈に印象に残った。

 

 私の印象では、「仏像にマツ毛がある!!」だったが、今回、展示室の中に入って、その雰囲気を完全に思い出した。

 仏像が動いているのである。

 

 仏像というものは、存外 釈迦仏は少ないものなのだが、この展示会は釈迦だらけ。そうして格好良い。

 

 王朝の金ピカの財力にも驚いた。アユタヤに行っても山田長政には会えなかったが、博物館には最古の肖像画もありました。朱印状の立派なのも見た。

 

 イヤホン・ガイドの解説に、みうらじゅん と いとうせいこうが入るというので楽しみにしていたが、本当に楽しかった。だってふたりはずっと雑談しているんだもん。

 

 仏像を見るというのは鑑賞する側に主体があるのだから、へんな解説よりも、彼らのような好き、好き、おもしろい、という感想が見る側の思いを書き立てて、いいのかもしれない。

 

 出口に、生まれた曜日毎の仏像というのが紹介されていて、私は土曜日の生まれだと知っていたが、知らない人が列をなして大騒ぎしていた。

 

 三石の土曜日は、何と!!ナーガに守られる仏陀でした。感動!!

 8月27日までです。

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2017年

6月

12日

浮線綾螺鈿蒔絵手箱を見にサントリー美術館へ

 

 授業が終わってから、生徒達とサントリー美術館に行きました。

 

 玉手箱というのは Sacred Treasure Box で、中に入っているのは化粧道具や鏡や櫛。

 

 化粧には呪術的な意味合いがあり、 privacy の極致なので、やはり他人が開けて見ることは決して許されないという性質の物らしい。

 

 神々に奉納された玉手箱に至っては、材質ばかりでなく、使う文様も、また奉納する人物の身分や品格も厳密な設定があったという。

 

 ずらりと並んだ玉手箱を見ながら、生徒達は、

 

「ねえ、ねえ、このうちの一つをもらうならどれがいい?」

 

 …って、あんたら神様か!?

 

 浦島太郎の玉手箱の話は、腑に落ちないのだが、こんな説もあります。

 

「太郎が玉手箱を開ける理由は、他の女との結婚資金にしようとしたもので、それは乙姫の愛情に対する裏切り行為であるから、その場合を想定した乙姫が予め、呪いをかけておいたものである。」

 

 ふ~ん。

 

 有職故実を解説した邸の見取り図があって、どの場所に何を置き、姫達がどう生活していたかが細かく描かれ、並びに実物大の本物が展示されるので、他人の私生活を覗き見しているような気になってドキドキした。

 

 櫛の一つ一つを見ていると、これは確かに魔除けであったに違いないと、霊気を感じたのであった。

 

 6月21日~26日は、期間限定で、蓋を開けた状態で、蓋裏特別展示があるそうです。

 

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2017年

5月

08日

映画 This Beautiful Fantastic

 

 この邦題はどうかと思うが…。

育ちの良い偏屈物のじいさんというのは、英国の背景あればこそ、はえるね。

 

 感想をひと言で言えば、つまらんおとぎ話でした。

 

 主人公の設定(捨て子で、鳥があたためて命長らえ、どこかの変なじいさん(頭がヘン)に見つけられての修道院育ち)にも無理があるし、そのために名探偵モンクのような強迫神経症になって植物が嫌いという性格設定をわざわざ作っておきながら、内面に踏み込むことなく、庭づくりとラッキーな遺産相続で物語は終わる。

 

 それに何よりも私には English Garden の良さが全くわからない。見ていると3分の2くらいは、むしりたくなる。

 

「混乱と混沌( confusion と chaos )は違うのだ。」

 という、偏屈なじいさんの言っている意味もわからなかった。

 

 そういえば昔、留学生をホーム・ステイさせていた時、恵泉に通っていた彼女の必須科目には園芸という English Garden の作庭を学ぶというものがあったっけ。

 枯山水と苔庭が一番好きな私には一生理解できないかも。

 

 英国ではやはりヒースの野は好きだった。花の季節も荒れ野も好きだった。ヒースは良い。

 

 そろそろ今年も、ひまわりと朝顔の種をまこうと思ってます。

 気が短いので、放ったらかしはできるが、手入れはイヤよ。

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2017年

5月

01日

映画 エルミタージュ美術館

 

 社会主義の時代にも、貴族というものは、学芸員のような形で残っていたのねェ。

 

 期待していた何倍も良かったので、勢い込んでパンフレットを買ったら、これは全く不要でした…。

 

 1764年エカテリナ2世が、317点の絵画をベルリンの実業家から購入したことが、この美術館の始まりだそうだ。

 

 映画はロシアの歴史を追いかけながら、一つ一つの美術品を学芸員がていねいに解説して続いて行く。

 

 あんなに大きな美術館の中を歩きながら鑑賞することを考えると、映画館ですわったまま、画面いっぱいに細部まで見せてくれ、解説も入るのだから、おトク感いっぱいであった。

 

 エカテリナ2世は、戦争の最中に特にどんどん購入したのだそうである。それは、ロシア帝国の財力を敵に見せつけて戦意を喪失させる政治的な意図からだったそうである。

 

 1917年のロシア革命の時、首都がモスクワに移ったことで、この美術館は宮殿からそのまま美術館として残ることになった。

 

 感心したのは美術館の職員達が皆、けっこうな英語で(年寄り達が)自分の意見をまくしたてる様子。

 

「美術品は、どんなに奪っても奪われてもいいと思う。それが私の意見。ただ公開すること、世界に向けて見せていくことだけが大事。」

 と言っていたおばあさんもいた。(学芸員です。)

 

 いい話だなあと思ったのは、第二次世界大戦の時、絵画は額から取り外して疎開させたのだが、おなかをすかせ、傷付いた兵士達が美術館に入って来た時、地下にとどまっていた学芸員が、額だけになって壁に掛けられている絵のひとつひとつを解説し、皆が豊かな気分になったというものだった。

 

 それからプーチン大統領は、本当に芸術に理解があって、

「これだけの指導者は世界でも珍しい。」

 と、館長が語っていた。

 

 美術品を仲介にして、イギリスやドイツとの関わりを語るのを聞けば、我々はニュースで政治の面でしか世界を把握していないけれど、芸術の立場から眺めてみれば、全く違う世界地図が描けるのだと実感した。

 

 エルミタージュ美術館の保管倉庫は、見せるのを前提に作られていて、ガラス張りの倉庫が2kmにわたって続いているのだそうである。

 

 プーチン大統領はペテルブルクの出身で、各国の首相を必ずここに案内するというのだが、安倍さん案内してもらったかなあ。それどころじゃないのかなあ。

 

 この映画、有楽町駅前のヒューマン・トラストでしか上映していません。

 首都圏にお住まいの方々、是非にとお勧め致します。

 

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2017年

4月

24日

学習院大学史料館 春期特別展 宮廷装束の世界

 

 

 

 

 世の中には衣紋道えもんどうという物があって、衣冠束帯や十二単を着付ける技術が山科・高倉両家に伝わっており、明治以後も宮内省で継承されて来たらしい。

 素材や織が独特なので、プロの技術が必要なのだそうだ。

 

 学習院の資料館ならでは、こんな本物の色を見ることは到底できない。

 椿山荘を会場にして着付けの実演や蹴鞠などを見せたのだが、その様子は史料館にあるDVDで見ることができる。

 

 言葉と漢字だけで何となく見当をつけていた色や模様を目の前にして、大変ありがたかった。あれだけの贅沢品を直接目にすると、” 禁色 ”の意味も自ずからわかる。

 

 産着などは針の目数まで決まっていて、” あなたふと ”でありました。

 

 

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2017年

4月

17日

他から回って来た本

 私はラ抜き言葉は気になるし、いい大人が流行に乗って変な言葉を使うのはどうかと思うけど、時々ハッとするような単語に出くわして嬉しくなることがある。

 

 状態を表わすハズの単語を動作に変化させたりするのは面白い。

 

 この本で私が気になって、一度使ってみたいと思ったのが

 ”だるしむ”

 キャハハと笑っちゃいました。

 

”楽しい→楽しむ” ”悲しい→悲しむ” はあるが ”嬉しい→嬉しむ” は、ない。

”だるい→だるしむ” だって。どこかで一度使ってみたいよ。

 

 先日、感心したのが「SAJ」という話法についてだった。

 

 「好きだ」と告白する。(S)

 断るときには「ありがとう。」という。(A)

 そうして、「ありがとう」と言われちゃった子は「冗談だよ」と続ける。(J)

 

 のだそうだ。

 近頃の若者は、相手を傷つけず、自分も傷つかないように色々考えているんだなあ。感心してしまった。

 

 

 

 

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2017年

3月

27日

アンドロイド夏目漱石の授業を受けに二松学舎大学のお花見オープンキャンパスに行く

 私の高校の古典の先生は、国学院と二松学舎の出身だった。特に二松学舎出身の宮原先生は、佐古純一郎先生の弟子だということを非常に誇りにしておられて、白樺派好きだった私は羨ましく思っていた。

 

 夏目漱石は、14才の時、漢学塾として創立された二松学舎大学の創立者・三島中洲について漢学を1年半習ったらしく、その時の様子を、

「机もない古い畳の上で、カルタ取りの時のような姿勢で勉強した」

「輪講の順番を決めるくじも漢学流で(…って、どんなの?)何事も徹底して漢学式だった」

 と回想している。

 

 アンドロイドに講義をさせるため、音源を求めたところ、広島の大金持ち加計町の加計さんが持っていたとのこと。

 彼は25代当主だが、曾祖父の22代当主が漱石の弟子で、(東大です)広島に帰る時、銀座で蓄音機を購入し、漱石の声を持って帰ったそうである。ふうん。

 

 肝腎の講義は、私の想像とは全く別の物だった。私は漱石の授業の再現を期待していたのである。実際、漱石の講義録は、かなり詳細なものが残っているらしいのだ。しかし、これでは全くのディズニー・ランドだ。だってね、『夢十夜』のうちの第一夜をけっこうイラッとするテンポで朗読したあとで、

「私が死んでから、精神医学でこの作品が解釈されて…云々」

 と、それって誰の授業だよ!?

 そんな授業なら、三石が代わりたいくらいだってば…。

 

 でもまあ、せっかく来たので何か模擬授業を受けようと書道の教室に行ったら、これがとても面白かった。福島一浩という教授が、漱石の俳句を書いてみせたあとに、

「書は音楽と同じように鑑賞するものなのです。これは決して “生きて世に梅一輪の春寒く” という句ではありません。「生きて」で呼吸し、「世に」はつけ加え、「梅一輪」ではなく、高く「梅」そこで切って「一輪」、それから同じ調子で「の」。「春」は、ひきずって沈み、「さむ」、そして「く」。書を学ぶことは文学を学ぶことなのです。是非、二松学舎で書を学び、文学の理解を深めてほしい。」

 だって。ふうむ。

 

 それから、見学者ひとりひとりに、手書きの書のしおりを配ってくれたのでした。

 

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2017年

1月

31日

マーティン・スコセッシの『沈黙』を見て考えたこと

 

 私の好きな言葉に

「人は過去を塗り替えることができる」

 というのがある。

 どこで聞いた誰の言葉だったかは忘れてしまった。

 

 私にはやり直したい過去はないし、過去に戻ったとしても同じことを選択する、と言い続けて来たのだが、その理由の一つは「絶対に過去は変えられない」という真理がある。だが、「過去は変えられる」という確信もまた、現在の私の力になっているのである。

 

 過去に起きた事象を変えることは当然できないのだが、その事象の意味を変えることは可能であり、変える力は過去にではなく、現在と未来にあるということだ。

 

 分かりやすい例を挙げれば「不良の馬鹿息子」が、「偉大な小説家」に化けるようなものである。

 

 過去のまま終われば、ただの「馬鹿息子」が、現在の努力によって将来は「偉大な小説家」になるとする。そうすると、他人はまず、「小さい時から、文学の素質があった」「独特の思考回路があった」と、過去の事象の記憶を塗り替え始めるのである。そうなれば、必然的に本人の中でも、そういう認知が進んで過去の自己肯定に至る。そのままでは到底、自分では肯定できない過去の自分を、意味を置き換えることによって、記憶を塗り替えて、自己肯定の高みに登れるというわけなのだ。私には塗り替えるべき過去はあっても、恥ずべき過去はないのだというのが、私の自己肯定の大半を占めている。

 

 さて、沈黙である。私がこの作品の登場人物で興味があるのは、まずはキチジローであり、次には井上様である。

 

 キチジローが、

「この俺(おい)は転び者だとも。だとて一昔前に生まれ合わせていたならば、善かあ切支丹としてハライソ(=天国)に参ったかも知れん。こげんに転び者よと信徒衆に蔑(みこな)されずにすんだでありましょうに。近世の時に生まれあわされたばっかりに…恨めしか。俺は恨めしか。」

 は、切ない。イエスが招く最良の弱者・キチジローの姿である。

 

 筑後守・井上は、もう少し知的なクリスチャンであった。

 棄教した神父・フェレイラが主人公の司祭に踏み絵を勧める時の、

「さあ。今まで誰もしなかった一番辛い愛の行為をするのだ。」

 というセリフもクリスチャンのものだ。もし、イエスがここにいたら、きっと踏み絵を踏むに違いないというのも単に「悪魔のささやき」とは言えない。

(イエスはものの軽重が分かるフレキシブルな男である。因みに三石は洗礼を受けた時、牧師から「踏み絵は踏んで良い」という許可を得ている。ワハハ。)

 

 キチジローは、

「じゃが、俺にゃあ俺の言い分があっと。踏み絵ば踏んだ者には、踏んだ者の言い分があっと。踏み絵をば俺が悦んで踏んだとでも思っとっとか。踏んだこの脚は痛か。痛かよオ。俺を弱か者に生まれさせおきながら、強か者の真似ばせろとデウスさまは仰せ出される。それは無理無法と言うもんじゃい。」

 と言う。こんな男をこそイエスは招いたであろう。

 

 キチジローは、物語の中で徹頭徹尾クリスチャンである。主人公のロドリゴも棄教してからも死ぬまでクリスチャンであった。私に言わせれば井上もクリスチャンである。信仰は他人が認めるものではない。本人の心の中だけにあるものだ。

 

 映画で「可」という評価を付けた理由は、スコセッシが、ロドリゴの信仰だけを認める解釈をしているからである。「日本教キリスト派」の概念がすっぽりと無い。

 本当に余計だと思ったのは、仏教の坊主を呼び、戒名を付け、仏教式の葬儀の後、火葬され、棺桶の中が写される。その胸には日本人の妻の手でこっそりと入れられた十字架があった。これ、ダメでしょ。ロドリゴは信仰の形を変えたのだ。新しい形で神の愛を教え、人々に布教する方法を棄教という形式の後に手に入れたのだと信じるからだ。

 

 最大のテーマは「神は沈黙していたのではない。神は一緒に苦しんでおられたのだ。」に、尽きると思う。キチジローと共に苦しみ、井上と共に苦しんでいるのである。

 

 浅野忠信を始め、日本人スタッフの英語が堪能なことに驚き、時代を感じた。

 考えてみれば、オペラ歌手は何語の歌だろうが歌うのだから、役者がそれを出来ない筈はなかったのだけれども。

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