2017年
3月
27日
月
アンドロイド夏目漱石の授業を受けに二松学舎大学のお花見オープンキャンパスに行く
私の高校の古典の先生は、国学院と二松学舎の出身だった。特に二松学舎出身の宮原先生は、佐古純一郎先生の弟子だということを非常に誇りにしておられて、白樺派好きだった私は羨ましく思っていた。
夏目漱石は、14才の時、漢学塾として創立された二松学舎大学の創立者・三島中洲について漢学を1年半習ったらしく、その時の様子を、
「机もない古い畳の上で、カルタ取りの時のような姿勢で勉強した」
「輪講の順番を決めるくじも漢学流で(…って、どんなの?)何事も徹底して漢学式だった」
と回想している。
アンドロイドに講義をさせるため、音源を求めたところ、広島の大金持ち加計町の加計さんが持っていたとのこと。
彼は25代当主だが、曾祖父の22代当主が漱石の弟子で、(東大です)広島に帰る時、銀座で蓄音機を購入し、漱石の声を持って帰ったそうである。ふうん。
肝腎の講義は、私の想像とは全く別の物だった。私は漱石の授業の再現を期待していたのである。実際、漱石の講義録は、かなり詳細なものが残っているらしいのだ。しかし、これでは全くのディズニー・ランドだ。だってね、『夢十夜』のうちの第一夜をけっこうイラッとするテンポで朗読したあとで、
「私が死んでから、精神医学でこの作品が解釈されて…云々」
と、それって誰の授業だよ!?
そんな授業なら、三石が代わりたいくらいだってば…。
でもまあ、せっかく来たので何か模擬授業を受けようと書道の教室に行ったら、これがとても面白かった。福島一浩という教授が、漱石の俳句を書いてみせたあとに、
「書は音楽と同じように鑑賞するものなのです。これは決して “生きて世に梅一輪の春寒く” という句ではありません。「生きて」で呼吸し、「世に」はつけ加え、「梅一輪」ではなく、高く「梅」そこで切って「一輪」、それから同じ調子で「の」。「春」は、ひきずって沈み、「さむ」、そして「く」。書を学ぶことは文学を学ぶことなのです。是非、二松学舎で書を学び、文学の理解を深めてほしい。」
だって。ふうむ。
それから、見学者ひとりひとりに、手書きの書のしおりを配ってくれたのでした。