2015年
3月
30日
月
敢えて一言、もの申す
千葉県の高校教師が、学校内にいた(生まれた)仔猫を生き埋めにした事件について、敢えて一言述べたくて書くことにした。
この話をテレビ・ニュースの報道で初めて聞いた時、あまり関心も持たなかったのだが、あまりにもこの教師に対する非難ばかりが集中して強調されるので、やはり首をかしげたくなったのである。
ご存知の通り、私は愛猫家である。猫ほど好きな動物は、この世に存在しない。だが、この事件についての世間の反応は、あまりにもヒステリックであり、どこかがおかしい。そう思う私は、現代の大方の感覚とずれているのだろうか。
世の中に野良犬は存在しないが、野良猫はあちこちにいる。飼い主のいない犬は存在しない(してはいけない)ので、他人の犬を傷つければ刑事罰が下る。だが、猫は違うのだ。
子供の頃、田舎では春先にもなれば、猫の子はビチビチと生まれた。野良猫はもちろんだが、飼い猫でも無計画に生まれた。そんな時は、生まれた瞬間に穴を掘って埋めるのである。それが当然の行為であった。
少しでも間を置けば、愛情が移るので、生まれてすぐに始末するのである。時期を逃して始末をしそこねると、もらい手を捜すのに大いに苦労をする。そうなってから初めて、あるいは山に捨てに行き、あるいは川に捨てに行くのだが、どちらの場合でも、すぐに生き埋めにした時よりも心ははるかに痛むのである。
ちょっと田舎の人に訊いてごらんなさい。直ちに生き埋めにすることこそが「正当な対処法」だと知っていますから。
件の高校教師は、
「他に始末の仕方がわからなかった」
と言い、それをもって世間の非難が集中したが、その教師の言う「他に始末の仕方がわからなかった」は、たぶん「その方法を知っていた」「そういうものだと認識していた」という意味であろうと思う。
テレビのコメンテイター達が、
「今までにも、していたかもしれませんね」
と言ったのが、ちゃんちゃらおかしかった。
していたに決まっているのだ。それが方法だからである。動物愛護協会が、
「私達に相談してくれさえすれば。」
って冗談ではありませんよ。田舎にはそんなものはありません。
また、都会の愛護協会だって、貰い手のない猫は、その後「始末」するではありませんか。少し大きくしてからのガス室の方が、生き埋めよりも良いという理由は何か。そんなものはありません。
「命の大切さ、尊さを教えなければならない教育の現場で。」
って笑わせてはいけませんよ。
教えなければならないのは、生まれたての野良猫の命の「尊さ」なんかではない。
「畜生」と「人間」との決定的な違いなのです。
猫の命を教材にしてでも、人の命の尊さを教えなければならないのです。こんなふうに「生き埋め」にされる仔猫とは、決定的に違うのがお前達の命であると、教えなければならないのが教師なのです。
動物を「飼う」ということは、どういうことなのか。それならば「飼わない」というのは、どういうことか。子供達は知らなければならない。
学校側は、保護者に対して説明会を開くと言う。
どんな説明をするつもりなのか。毅然として、この教師が決して命を軽んじるような男(女?)ではないことを説明して欲しい。謝ってなんかほしくないぞ。
私に言わせれば、鯨を食べる日本人に対してヒステリックに攻撃しているどこかの国の団体と、どこが違うのだと言いたい。中国では猫を食べますよ。犬だって食べますよ。私は食べましたよ。おいしかったですよ。
私は、人後に落ちぬ愛猫家である。
(三石由起子)
2015年
3月
16日
月
久しぶりの生演奏
玄一さんのチェロを聞きに行く。
クラシック音楽を日本人の身近な娯楽にしたいという玄一さんの願いが叶いつつあって、テレビ番組になりました。
そのメンバーのコンサートで、いそいそとJTホールへ。(ここはいまだにホールに灰皿があります。)
プログラムは、本物のクラシック初心者が楽しめるように配慮され、玄一さんのトークも楽しみのひとつなのですが、時々、わからんことをいう。
「ベートーヴェンは、”嫌になって死んだ”ですから、時代的には…。」
と玄一さんが話していると、後ろの席のご婦人方が、
「何を嫌になって死んだのかしら。」
と言う声が聞こえた。
玄一さんは、ベートーヴェンの没年を1827(イヤニナ)って死んだ、と言っただけなのですが、やはり音楽家の常識はいきなり何気なく話されても困る人もいるのでしょう。
バッハに素晴らしいテーマを与えた”フレデリック大王”の話になって、司会者と、
「あのジャガイモの?」
「ええ、じゃがいもの。」
…って、何のことだよ?
家に帰って早速、”フレデリック大王 じゃがいも” で検索。
ほお、そうでしたか。
フリードリヒ大王(フレデリック2世)
ドイツで初めてじゃがいもが栽培されたのは1947年。
宮廷庭師ミヒャエル・ハンフと宮廷植物学者ヨハン・ジギスムンド・エルスホルツによってオランダ庭園に倣って作られた観賞用の植物だったそうだ。
その観賞用のじゃがいもを食用として広めたのがフリードリヒ大王を代表するドイツ・プロセインの大王だった。
大王の”じゃがいも宣伝”は、”出征宣伝”と同じくらい有名だとあるが、どっちも知らんよ。
7年戦争での兵士達の空腹を満たすことと戦後の食糧難の解決に役立ったらしい。
この”じゃがいも宣伝”は、ベルリン一帯に栽培したじゃがいもを兵士に警備させて、農民達にその高価さ、貴重さを宣伝すること、また、兵士には「あまり厳重に警備をするな」と命じて、兵士の目を盗んでじゃがいもを盗ませ、自分達でこっそりと栽培させるというものだったそうな。食べるように勧めても、ドイツの農民は知らない食べ物は口にしないという習慣があったので逆手にとったものだったそうな。
この思惑は見事に的中したらしい。本格的な栽培が始まったのは19世紀で、現在では50種類もあるんだそうな。
人間の知識は一度得てしまえば“常識”になりますから、今度誰かが「フレデリック大王が…」と言いさした時には、
「ああ、あのじゃがいものね、」
と反応できるというもの。
めでたし、めでたし。
フリードリッヒ2世(1712~1786)
バッハ (1685~1750)
ベートーヴェン (1770~1827)
↑
嫌になって死んだ…です