2015年

4月

27日

映画『博士と彼女のセオリー』

 原題は Theory of everything なのに、邦題はなぜ ”博士と彼女の” という限定になったのだろう。

 昔からホーキング博士は大好きだった。

 文句なく、生きる意欲と、それを支える脳に感動するからである。

 20代で、後2年と宣告された命が、その後結婚して、子供は3人。現在は73才になった。

 最後の場面で、博士が、

「Where there is a life, there is a hope.」

 と言ったが、いや、それは逆でしょう。

 車椅子になって話せなくなってからも、妻以外の女性を求めた能力に脱帽します。

 同じ病人なら、こんな病人になりたいことだ。

 博士、いつまでもお元気で。人類の科学のために。

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2015年

4月

06日

根津美術館へ

 御招待券を頂きホイホイと出かけました。良かったよ。

 どういうわけか、昔からブツが大好きで、当然のことながら、仏教のパラレル・ワールドにも心ひかれています。

 根津美術館の”菩薩”の説明に「菩薩とは、悟りを得たにもかかわらず、あえて人間界に降りて、人間の苦楽に向き合い、救済の手をさしのべる仏のこと」とあった。

 おい、それは違うだろう。いや、そういう解釈もあるのだろうか。そうすると随分と意味が違ってくるぞ。やっぱり、それは駄目でしょうよ。

  仏には格というものがあって、一番上が”如来にょらい”。

 如来の中のトップは釈迦如来だと思いがちですが、そうではない。釈迦というのは、この地球上の如来にすぎず、お星さまはいくつもあって、それぞれの星(世界)に、それぞれの釈迦の役目を果たす如来がいるのです。これが仏教のパラレル・ワールド。その如来の中の如来、いわば king of kings が大日如来であります。

 如来というのは悟りを得た後の段階なのですが、菩薩は、まだ悟りに至ってはいないのです。但し、必ず悟りを得て、如来になることが決まっている物のこと。仏像を見る時には、イヤリング、ネックレス、ブレスレッドなどの装飾品があるのは、まだ菩薩で、悟りを開いた如来は、そんなものを身につけてはいないのです。だが、これが仏教のおもしろいところで、如来の中の如来、最も尊い如来の大日如来には装飾品が有る。わが身を飾ろうが飾るまいが関係ないほど偉いので飾るのです。

 

 まあ、「いつでも如来になれる身でありながら、馬鹿な衆生のために、人間界にとどまって、ひとりだけ悟って抜け出ることを、あえて放棄している仏」という説明が妥当と思います。東洋哲学科卒の三石でした!

 

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