2014年
12月
22日
月
映画『100歳の華麗なる冒険』を見る
誰も彼もインフルエンザで、授業がパタパタと中止になり、思わぬ時間ができて久しぶりの映画館へ。
スウェーデンのベストセラー小説のコメディだと聞いて、期待して行ったのに、腐れ映画だった。
子供の頃から爆弾を作るのが大好きだったという老人が、100年のあいだに色々な歴史的事件に関わっていくというアイディアで、 ”フォレスト・ガンプ” の爆弾魔編といったところ。
マンハッタン計画で、 “軽く” 原爆製造にかかわったり、悪意もなく ”うっかり” 人を殺したり、こんな物を見て笑える人間がいるのだろうかと思っていると、後ろから本当に嬉しそうな笑い声をたてている男の声がした。病んでいるよなあ。
”ゴーン・ガール” にすれば良かった…。
スウェーデン人は、携帯投げコンテストや、エア・ギター・コンテストなど愉快なことを考える人々だと、ちょっと尊敬していたのに、そのイメージが全て吹き飛んだ!
100まで生きて、こんな人生観しか持てぬなら、生きていくことはちっとも素晴らしいとは思えない。
年末だというのに、全く年寄りに失礼なイヤな映画を見てしまったものだ。
予告編に中島みゆきのライブ・ビューイングが少し流されて、まあそれを見たのを良しとしよう。
2014年
12月
01日
月
ありがとう ホセ・カレーラス
素晴らしい歌声でした。
去年、マイクで若い女と英語の歌なんぞを歌った時、もう一生聞くことはあるまい(生で)と思っていたのですが、
歌姫「来日してくれる限り、行きましょうよ」
三石「いや、私はもうチケットを買わない。3万5千の価値はない」
歌姫「じゃ私が、還暦のお誕生日プレゼントを買う」
と、6月に買ってくれたので行ったのでした。
会場に入ると、マイクがない!!
しかも共演者の女もいない!
プログラムを見て、再びびっくり!!
奴は本気で歌う気です!
ところが出て来たホセは、曲目をひとつずつピアニストに指示し、ゆっくりゆっくり、語るように歌い出した。
非常に狭い音域の曲から選び出し、一曲終わるごとに目頭を押さえたり、鼻を押さえたり、鼻をかんだりした。
あらら、ホセはお風邪なのでした。
それにしても自分の声と体調と歌とを知りきっている者の貫録で、聴衆はため息をつくばかり。
”目病み女に風邪男”どころではない。
なんという色気であろうか。
これがプロフェッショナルというものなのだろう。
ホセは今年の4月にオペラをやったらしい。
それで自信を持ったか、居直ったか。
白血病に続いて再び不死鳥のように復活したホセ・カレーラスなのであった。
休憩時間には煙草を吸うより先に、来年の予約にカウンターに走る。
「来年のチケットは、私が買わせてもらうからねッ!」
歌姫と余韻を楽しむ。
偉いもんだ。
年齢だとか、風邪だとか、猫が死んだとか言ってないもんなあ。
ホセ様は希望の星でした。
2014年
11月
25日
火
とんでもない風邪
とんでもない風邪(咳、くしゃみ、鼻水、声が出ない)をひいて、全てのコンサートをキャンセル(もったいない)しましたが、酒だけは飲めました。
医者「薬とお酒だけは併用しないで下さいね」
三石「飲む時は薬は服用するなということですね」
医者「え?それ違うでしょ?」
三石「そうでしょ。飲む予定が先にあるんだから」
医者「違うってば!」
2014年
11月
20日
木
四天王楓江戸粧(してんのうもみじのえどぐま)
スーパー歌舞伎というものを、初めて見に行きました。
父兄のご招待でした。
時代背景も、源頼光、四天王が出て来るかと思えば、急に江戸時代になったり、妖怪あり、狐あり、鶴屋南北って、こんな滅茶苦茶やってたのねえ。
生活苦に陥って陰間(男の売春)になって子守りに買われる公家や、辻君(street girlのこと)になる姫君が出て来たり、父兄が必死で時代背景を追おうとするので、
「ムダ、ムダ。みんなでたらめだからね」
と解説。でも江戸時代の庶民がどんなふうに歌舞伎を楽しんでいたか分かるような気がした。
本来なら、昼夜通しでやる演目だそうで、5時間。
猿之助(=昔の亀治郎)が、「いとこの小せがれめ!」とののしった子供は、市川團子(=香川照之の息子 9才)で、客席をわかせました。この子がいずれ猿之助になるのでしょうな。
Metのオペラ並の舞台装置でした。ぎんぎらぎんは、やっぱりおもしろいな。
2014年
10月
27日
月
ハロウィンとは何か?と、生徒に訊かれて
「う~ん。キリスト教の行事じゃないから、あまり良く知らんのよ。だけど、日本のお化けは夏に出るのに、西洋のお化けは寒い時に出るんだねェ」
などと、いい加減なことを答えてから、はたと思い当たって、思い出したのは、『世間胸算用』の巻4の1「闇の夜の悪口」の中で、
「むかしは年のくれに魂祭して、いそがしき片手に香花をととのへ、神の折敷と麻がらの箸と、取り混ぜてのせはしさに、その頃のかしこき人、極楽へことわりなしに、七月十四日に替へける。今の智恵ならば、春秋の彼岸のうちに祭るべし。」
という文章があった。
平安朝までは、先祖供養というのは大晦日の行事だったのです。祖霊は年に二度、盆と正月に子孫の家に帰って来て供応を受け、子孫の家を守護すると考えられていて、未だに地方によっては、大晦日に祖先の「みたま」にお供えをする習慣が残っているらしい。
そこでハロウィンを調べてみたら、この、もともとはケルト人のお祭りは、やはり大晦日だったのです。ケルト人の1年の終わりは10月31日で、この夜には死者が家族を訪ねて来る日だったのだそうな。
ところが、祖先ばかりでなく、ついでに魔女や邪悪な物までもくっついて出て来るので、迎える方としても魔除けの火をたいたり、仮面をかぶったりするようになったらしい。
日本でお盆に幽霊が出るのと同じ理屈というわけね。
Happy Halloweenなんて、何が happy なのかと思っていたが、先祖を迎えるというのなら、happy で悪いとも言えないことになる。
Halloweenの語源は、カトリック教会で11月1日に祝われる万聖節(=諸聖人の日、英語で All Hallows)の前夜(eve)が訛って Hallows eve → Halloween となったのだそうな。さすがのキリスト教も、民族の風習は禁止できなかったらしい。但し、これが馬鹿騒ぎPartyのようになったのは、やっぱりアメリカ人の”手柄”らしい。日本のクリスマスと同じということだ。
Jack-o'-Lantern とか Will-o'-the-wisp なんてのは鬼火太郎とかワラ怪人三郎?で、ジャックやウィルはケルトの名前だったのか。
日本では1983年10月にキディランド原宿店が始めたことだそうな。東京ディズニーランドでは1997年10月31日に初めてのパレードをしたらしい。それが現在では9月初旬からのイベントとして定着したという。
お祭りや Party なんて多い方がいいのだろう。誰もが早慶戦や早明ラグビーに夢中になる訳じゃないものね。キリスト教は禁止する宗派もあるらしい。狭い了見だねえ。いいじゃない。
2014年
10月
20日
月
映画『ザ・テノール』を見に行く
ストーリーには興味があったものの、歌声は全く期待していませんでした。だってアジア人(=韓国人)のテノールだよ。
ところが声を聞いて、わが耳を疑いました。
終了後、「パバちゃんの声だったよね?」と言ったら、「うん。似てた!」
最後のエンディング・ロールなど、絶対パバロッティだと思って、名前を発見しようとしていました。こんな歌手がいたなんて。早速帰ってからYou Tubeで見てみたら、本物だった!!
実話というのもすごい。あんなになって妻にも子供にも当たらず、立ち直っていくのが男の中の男でした。それにしても人間の身体能力というのはすごいもんです。
コンサートを調べてみたら、9月に大阪でやっていたのです、残念。次回、来日した時には何としても席をとらなくっちゃ。
2014年
10月
06日
月
ついに井原西鶴に手を出してしもうた…
井原西鶴は実は浪人時代に読み出して、20才になるまでに『日本永代蔵』と『世間胸算用』の完訳をやったことがあるのですよ。
何も知らず、よくもあんな真似ができたものだと、我ながら呆れます。
しかも毎晩、酒を飲みながらやってたんだもんねえ。
今回は、全く違和感もなく、スタスタとやっつけてしまいました。
会話文は織田作之助の中途半端な訳文を見つけ、面白いので入れたら「気持ち悪い」と言われた。
これは誰にでも読めます。
乞うご期待。
2014年
9月
29日
月
映画『アルゲリッチ』を見る
すごい女だということはわかった。
この映画は監督ステファニー・アルゲリッチの私小説だと思った。
変な女を母親に持った娘の大いなる許しの物語であって、ピアニスト・アルゲリッチの映画ではない。
最大限の優しさと読解力をもってしてもアルゲリッチの言葉は全くわからない。
まるで、言語障害を持つ人間に哲学を語らせようとしているかのような映画だ。
しかしステファニーの私小説ということで読解するなら80点。
長い間撮りだめた時間の手柄というべきか。
2014年
9月
22日
月
映画『柘榴坂の仇討』見て来ましたよ
何年か前に藤原竜也が『最後の仇討』というのを主演した。これも仇討禁止令が出た後の仇討で、新旧の価値観それぞれが胸を打った。
このタイトルを聞いて、
「そうだよなあ、禁止令が出たからといって、おいそれとは変えられない価値観に執着していた者は、一人や二人じゃなかったろうな。ヒトラーの側近の妻は、「誇りを失ったところで、子供を育てることはできない」と、我が子全員を手にかけたもんなあ…」
などと思って見に行ったのだが、こちらは執着にエネルギーを燃焼し、疲れ果て、太政官の禁止令で蘇生した男(達)の物語。
隣にすわった中年がボロ泣きして鼻をすすりあげるので、こっちもうるうる来た。
昔、お散歩会で豪徳寺に行き、井伊直弼の供巡りの人々の墓を見つけて、ていねいにお詣りしておいて良かったなあ、などと思った。その時
「そうよねえ。井伊が暗殺されたってことは、当然、その周囲の人間はみんな死んでいるってことだものねえ。」
と、あらためて思い至って頭を垂れたのだが、ホント、ていねいにお詣りしておいて良かった!廃藩置県の時、切腹した武士も多かったに違いない。今の“ひこにゃん”なんか見たら泣いちゃうだろうな。
2014年
9月
22日
月
中巻できました。
藤原道綱の母は、息子だけは、息子を思うと、息子は息子はと相当にうるさい!息子の恋文を全て見て添削なんかしちゃうんだから今の感覚だとあきれ返るのですが、文学が即座に政治力と結びつく時代のお話なのでした。
今西祐一郎「蜻蛉日記覚書」からの抜粋です。
「『蜻蛉日記』上巻が兼家の詠草筆録という役割を帯びていたとすれば、道綱母は、「家の女性」でありながら、しかし摂関家有力者兼家の私家集的なるものの編纂という役目を担うことによって、摂関家文壇に関与していたことになる。」
「道隆や道長の父兼家の周辺には、その才気あふれる磊落な姿を仮名文で伝える役目を担う、清少納言や紫式部のような女房はいなかった。しかし、読者は『蜻蛉日記』の中に、後に太政大臣へと登る兼家の、『枕草子』や『紫式部日記』だったら記されなかったであろう、道綱母との贈答、愛人騒動といった若き日の天下人の素顔を、また伊尹『とよかげ』や兼通『本院侍従集』が正面から描かなかった官位の不遇や帝の代替わりによる栄達の姿などを読むことができる。
すでに天下人と成りおおせた道隆、道長の姿を伝えることを役目とする『枕草子』、『紫式部日記』と、若き日の色好みとしての姿を伝える伊尹『とよかげ』、兼通『本院侍従集』、その双方の役割を『蜻蛉日記』はあわせ備えている。そして文学史としてみれば、『蜻蛉日記』は、摂関家における「家集」から「女房日記」へという文事の推移・変質の、その最中に位置して、両者橋渡しの役目を果たしているのであった。」
息子・道綱はこんな男
天禄元年12月(970年1月)従五位下に叙爵。のち、右馬助・左衛門佐・左近衛少将と武官を歴任するが、正妻腹の異母兄弟である道隆・道兼・道長らに比べて昇進は大きく遅れた。寛和2年(986年)の花山天皇を出家・退位させた寛和の変では、長兄・道隆と共に清涼殿から三種の神器を運び出すなど父・兼家の摂政就任に貢献。変から1年半ほどの間に正五位下から従三位にまで一挙に昇進し、公卿に列した。その後、異母弟の道長とは親しかった(妻同士が姉妹で相婿)こともあって、長徳元年(995年)道長が執政となると、その権勢の恩恵を受け、長徳2年(996年)中納言、長徳3年(997年)大納言と急速に昇進した。
2014年
9月
15日
月
久しぶりのKindle出版『蜻蛉日記』です。
今西祐一郎の判字と解説で、与謝野晶子の誤りを全て訂正した『蜻蛉日記』の出版です。今西の解説書や論文を読んでいると『源氏物語』の研究家が『蜻蛉日記』の研究をせざるを得なかった必然性がひしひしと、また、びんびんと伝わって来ます。それはあたかも新約聖書を読む人間が、旧約聖書を読むのが必然であるがごとく、また京都の専門家が奈良に辿りつくがごとく、必然とはこれをいうのであろうと思われたのでした。
それにしても一夫多妻の辛さを嘆くというだけの物であれば、三石は一生読むこともなかった。
これは三石による今西論の抜粋で、『蜻蛉日記(中)』に詳しく述べています。
兼家と対立した状態からは日記は生まれなかった。執筆当時、作者に対する兼家の気持ちは決して背反したものではなく、協力し得る状態にあったと言って良い。兼家自らの家集でなかろうと、道綱母との贈答歌を中心とした家集が道綱母の手によって編纂されることは、兼家が和歌的実績を顕現するに充分効果的であった。安和元年を下ることそう遠くない時点で、結婚生活十五年間に堆積した家集纂集を兼家が要請したのではなかったか。兼家の歌は当初から道綱母の手元に保管されていた。彼女は世に認められた歌人であると同時に、兼家の歌の管理者であった。身分的階級的落差、あるいは彼女の性格的問題性を越えて、結婚生活が長期に継続したのは、兼家が彼女の歌人としての資質を尊重したからである。それは歌人としての能力ばかりでなく、歌の管理者としての能力であった。
古代文学においては、何らかの効用を抜きにして作品の存在は考えられない。藤原氏私家集隆盛の先駆となった実頼、師輔、師氏三人の集は、決して純粋な文学的衝動のみで編纂されたものではない。その成立には、骨肉相喰むと言われた藤原政権の争いと反目があった。彼ら権門にあって私家集は『後撰集』とともに権力表示を意図したものであった事を忘れてはならない。
2014年
9月
08日
月
龍虎さん告別式
受付は早稲田のチア・リーダー達でした。
弔辞を読んだ大の男3人(北の富士と、御友人とアナウンサーの生島ヒロシ)が、大泣きしました。
御友人は、「そっちでうまい店捜しといてくれ」と泣きました。
北の富士は、「俺は、日本人の横綱を見るまでは死ねないんだ!」と、泣きました。
生島ヒロシは、聖書の伝道の書を引用しました。僧侶達の前でいい度胸だと思いました。
出棺は皆で拍手で送りました。
元応援団が「龍虎!」と叫びました。
本当に良い葬儀でしたよ。
貴子さんが「亡くなってもしばらくは耳が聞こえるのだと聞いておりましたので、感謝をたくさん申しました」と言っていたのが印象的でした。
龍虎さんは、早稲田の応援をするチア・リーダーの娘の応援にいつも来ていて、(早稲田の応援ではなく、娘の応援)試合が終わった時に、「ところで今日の試合はどっちが勝ったんだ?」と訊いたというエピソードを残しています。
今年の正月2日には駅伝の応援に出発の大手町で会い、帝国ホテルで朝食をご一緒しました。私が日本酒を頼むと、龍虎さんも頼み、奥さんに止められて、
三石「お正月ですから、いいじゃないですか?」と言うのを「ねえ?」と見上げたいたずらなお顔が最後になりました。子供達には「死んだら富士山を見て父だと思え」と言い置いていたそうです。
安らかにお休み下さい。 アーメン
2014年
9月
01日
月
本当にSpecialなConcertでした!!
渡部昇一先生が、にこにこと本当に嬉しそうだったのが印象的で、とにかくものすごく贅沢な感じがしました。嬉しい音楽会でした。音楽というのは本来、こういうものなのではないかと思いました。
ものすごく変な感想ですが、「この人は、今からどんどんうまくなるだろうな。」と思いました。ピアノを再開したのが4年前の金婚式(=74才)で、現在は78才。息子達もその友人達も日本を代表する演奏家達です。
そんなものに伴奏させてモーツァルトのピアノ コンツェルトを弾くんですもん。クラシック一筋という潔さも素敵です。今からの世の中で求められる種類の音楽家を見たという思いでした。
2014年
8月
25日
月
ついにビア・ガーデン
今年は、どこもかしこも予約でいっぱいでビアガーデンに行けなかった!! 池袋も有楽町も日比谷もビルの上のビア・ガーデンは、いつの間にか姿を消してしまった…。
デパートの上で、大人がビールを飲み、子供が走りまわって、金魚すくいや、スーパー・ボールすくいをするような風物詩は、とんとなくなってしまった。普段、ビールなんて全く飲まないのに、行けないとなると、やたらに恋しいビア・ガーデン。そういえば、ビア・ホールなんてのもなくなってしまったね。池袋のミュンヘンなんて、やたらにうまいfiddlerがいたものだが。
2014年
8月
22日
金
子育て本、評判は良いらしい…
三石由起子先生
こんにちは、
メタホドスは毎度面白く拝見しております。
『母親の貫禄』は、おかげさまでなかなか好評です。
感想のお電話も寄せられ、嬉しいお話をいろいろ聞かせていただきました。
たとえば、高校生と小学低学年という年の離れた子どもをもつ母親から、
それぞれに抱えていた悩みや不安が一気に解消し、
またこれからの指針をいただいた、というもの。
(子育て本の多くは、年齢を刻んだテーマであるため、
これまで参考になる本がなかったそうです)
また、先生の考え方に触発された方からは、
子どもと源氏物語をテーマに、恋愛話をしてみたくなったとか。
調子よく? キンドルの「これで読破シリーズ」を紹介しておきました!
ちなみに、いきなり「読破シリーズ」の入手方法を聞く方もいましたよ!
さらに、カリスマ書店員として全国的に有名な、
盛岡のさわや書店の店長さんからも、
絶大なお褒めの言葉をいただきました。
さわや書店では、ワゴン展開されています!
三省堂書店をはじめ、書店員さんからも概ね好評価をいただいているのですが、
欲を言えば、もう少し数字につながって欲しいところ。
まだまだ、これからも期待したいと思っております。
ではでは、簡単ではありますが、状況のご報告まで。
残暑はまだ続きそうですが、先生のパワーなら大丈夫ですね!
またメタホドスを楽しみにしております。
2014年
8月
18日
月
武市先生墓参
お盆の時期になると、シャトル・バスが上まで行ってくれないので、気が気ではなかったけど、ギリギリセーフの墓参でした。
中途半端な時間だったので、飯能行きの準急に乗ったら、小学生の男の子ふたりが、実に熱心に戦国武将の話をしていて思わず聞き入ってしまいました。
途中から野球の話になって、さっぱり分からんので本を読んでいたら、気がつくと再び歴史の話になっていて、「しまった!聞き損ねた!」
ああ、夏休みだなあ。子供の雑談は、おもしろい。
2014年
8月
11日
月
ミイの名言
先日、待ち合わせの時間の30分も前に目的の場所に着き、暑くて外にいられない。目の前のユニクロに飛び込んだら、ムーミンのTシャツが限定特別割引とか書いてある。そう言えば意地悪な小娘のミイが可愛かったなあ、と思い出して、つい一枚買ってしまった。800円しませんでした。そんな話をしていると、父兄が「ミイの名言というのがあって、いいこと言ってるんですよ。」と言うので、早速インターネットで検索してみたら、本当にそういう項目があった。
さあ頑張りなさい。なんて言うセリフは久しぶりに聞きました。
何だかみんな三石のセリフのような気がします。
ひとりで楽しむのも、もったいないのでおすそ分け。
立秋も過ぎました。残暑お見舞い申し上げます。良いお盆休みをお過ごし下さい。
2014年
8月
04日
月
労災?
合宿が終わった2日後から、毎日来ている子ども達が、会うたびに懐しげに挨拶をしているのが何とも不思議です。『ソクラテスの弁明』を読んでいる子に、少し哲学の話をしたら、「家庭教師を無理矢理やらされて死んじゃった哲学者もいるんだよ。三石先生、ちゃんと労災には入っておいて下さいよ。」とヌカした。
そういう問題でしょうか。
2014年
7月
29日
火
教育で最も必要なもの
三石メソード夏季合宿三日め。高校生の英文解釈の問題で、「教育で最も必要な物は何かと訊かれると、日本人の教師はたいてい love だと答えるが、日本人以外の教師は communication だと答える」というのがあり、生徒たちに最も必要な物は何だと思うかと試しに訊いてみると、
生徒1「優しさかなあ。」
生徒2「え?教師に優しさは必要ないよ。」
三石「お、さすが三石の子供だねえ。」
生徒1「三石先生優しいよ。」
うる、うる、うる…涙。