2018年

2月

28日

口笛

 

 子供の頃、口笛なんぞ吹くものではないと言われていた。「変なものが寄って来る」というのは嘘だろうとは思ったが、下品だと言われるとちょっと納得していた。だから、大人になるまでは口笛を吹いたことも、吹こうとしたこともなかったのである。初めて口笛を吹いたのは早慶戦の応援でのことだった。早稲田大学の応援歌『光る青雲』は、一番は歌だが、二番は口笛の演奏ということになっている。そこでいきなり口笛を吹いたのだが、初めてなのに普通に吹けたので、口笛なんぞは誰でも吹けるものだと思っていた。

 

 ところが二年ほど前に、やはり早慶戦で『光る青雲』の合唱になった時のことである。二番に入ったら、周囲の雰囲気がおかしいのだ。まわりのおじさん達(同級生だち)の音量が絶対的に足りないのである。自分でも口がまわらないのがわかった。切れがない。音程が取れない。自由に音の高低があやつれないばかりか、音量が出なくなっているのだ。ほっぺたが苦しい。ためしに、

 

「ねえ、口笛、下手になってない? 吹きにくくない?」

 

 と、訊いてみると、まわりのおじさん達(同級生たち)も同意したのであった。

 

 そういえば近頃、ペットボトルの水をよだれのように唇の端からこぼす。最初の内は「あらら。」「おっと。」くらいに感じていたのだが、回数が重なると、これはホントにまずいのではないかと思うようになった。ペットボトルの水だから、まだいいようなものの、もしもこれが酒だったら? 盃を口元に運びながらクイッとやった瞬間、唇の横から酒がたら~っとこぼれたとしたら? 考えただけでもぞっとする。私はついに酒も飲めない身体になってしまったのか…。さらに細かく自分を観察してみると、液体が唇から垂れる曜日がほぼ決まっていることに気付いた。だいたい、月曜から水曜日に限られているのである。そこで、私にははっきりと原因がわかった。間違いなく口角の衰えなのであった。

 

 私は毎週、木曜日の午後にお歌のレッスンを受けている。もう何十年にもなるのだが、お顔だけが可愛い、鬼のような先生に、まずやらされるのが発声練習である。音階を「ぱぴぷぺぽ」で上がって行って、「まみむめも」で下りてきたり、「まみむめも」で上がって、「らりるれろ」で下りてきたりするのを何セットかやらされる。それを2オクターブも上下すると、口の廻りがくたくたになって、口角が筋肉痛を起こす。(うそだと思うならやってみな。)だが、その訓練の甲斐あって、木曜日の夜から日曜日いっぱいくらいは、ペットボトルの水は唇からはみ出して横に流れることはないのである。今後は誰かと飲みに行く時には、まず、この方法で2オクターブくらい発声練習をしてから出掛けなければ、と、馬鹿なことまで思った。(そこまでして飲みたくないぞ。)

 

 先日、ミイがテレビのリモコンを踏んで、ついた番組が『マツコの知らない世界』だった。そこに口笛の名人というのが出ていて、世界大会なども映り、その見事な技に思わずうっとりと見つめてしまった。番組では名人が、口笛が全く吹けないというマツコに吹き方を伝授していた。数年前、ボニー・ジャックスの西脇さんが、持ち歌の中に口笛の演奏があるのだが、若い頃の妙技がもうお聞かせできないと嘆いていたのを思い出して、これはいい番組に出くわしたものだと嬉しくなった。名人が三つのポイントを丁寧に教えているうちに、吹けないと言い張っていたマツコの口笛が聞こえて来たのである。ほほお。そうですか。この程度の口笛の練習なら毎日少しずつできるはずだ。まずは『光る青雲』である。次の早慶戦では、あの熟年と初老の輪の中で独唱に聞こえるくらいのものを響かせてやろう。私はテレビの名人のアドバイスを聞きながら、ここを先途と真似してみた。

 

 だが、次の瞬間、思いもかけぬことが起きたのである。ミイが呻り始めたと思ったら、ものすごく怒って、ダッシュで駆け寄って来て、私の手首に噛みついたのである。甘噛みとは言えない、経験したことのない強さだった。初めはただの偶然かと思っていたのだが、両方の耳を下に伏せて目を光らせ、歯をむき出しにしている。蒲団の中に手を隠しても追跡を止めず、もぐり込んで来て執拗に手首に噛みつくのであった。その後何度か試してみたのだが、何度やっても、どこにいても(別の部屋で口笛を吹いても)、駆け寄ってきてジャンプし、フガフガいいながら手首に噛みつくのだ。

 

「変なものが寄って来る」の「変なもの」というのは、ミイのことだったのか。上等である。

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2018年

1月

15日

映画『ヒトラーに屈しなかった国王』

 

 リッカルド・ムーティ― →ウィーン・フィルの負の歴史→ の流れで、年末から気になっていた映画『ヒトラーに屈しなかった国王』を見に行った。

 

 恥ずかしながら、このホーコン7世(1872-1957)という、ノルウェーの初代国王のこと、私は全然知りませんでした。

 

「私は歴史上初めて、国民に選ばれた国王である。」

 というセリフが実に新鮮で、自分は日本人だなあと、実感したことでした。

 

 ホーコン7世は、デンマーク国王フレゼリク8世の次男で、兄はデンマーク国王クリスチャン10世。

 1905年、ノルウェーがスウェーデンとの同君連合を解消した時に、国民投票で選ばれてノルウェー国王として即位した。

 息子はオラフ5世、孫は現ノルウェー国王のハーラル5世である。

 

 ホーコン7世は、八甲田山の遭難死亡事故(高倉健の映画で、大学生の時、見ました!)の時、そのお見舞いとして1909年に、明治天皇にスキー板を贈ったそうな。

(なぜ、スキー板?わかるような、わからぬような)

 

 

 まあ、それをきっかけにして日本とノルウェーとのスキー交流が始まったというのだから、北朝鮮のオリンピック参加も、ひょっとすれば ”瓢箪から駒” がないとも限りませんねえ。

 

 1940年4月9日、ナチスドイツはノルウェーの首都・オスローに侵攻。むろん応戦はしたものの圧倒的な軍事力で各都市は次々に占領されていく。

 ホーコン7世は閣僚を引きつれて首都を離れる。

 

 ヒトラーの要求を拒む国王とヒトラーとの間に立って職務を全うしようとするドイツ公使の姿が、私にはこの映画の中で一番印象に残った。

 

 この公使、いらいらして思わず妻をひっぱたいちゃうんだよなあ。

 でも、出て行くと言って荷作りする妻を止める暇もなく、交渉に向かう公使が、とてもナチスの手先とは思えぬほど格好良かったんですよ。

 

 だから、交渉に失敗して戻って来た時、妻が部屋にいて、思わず涙!

(いや、泣くのはそこじゃないのはわかってるけどね。)

 

 私に国王の素質がないのは百も承知なのだが、ヒトラーが降伏を求めて来た時、要求を飲めば国民は傷つかない。応戦すれば目の前の若者がバタバタと死ぬ。そんな選択で、要求を拒否して自分はイギリスに逃れて徹底抗戦を指示するなんていう度胸はさすがに国王の器量というか、度量はすごいものだねえ。

 

 今なら、”ヒトラーに屈しなかった国王”としてノルウェー人の誇りだということはわかるが、当時の国民もやはりそのことを素直に誇れたのだろうか。

 

 人の記憶は塗りかえが可能なので、私にはタイトル通りに受け取ることはできなかった。わかるのはディテイルだけ。

 ドイツ大使の妻が、部屋にいて…それで泣く。…これが限界でありました。

 

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2018年

1月

11日

ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート

 

 今年のウィーン・フィルは、リッカルド・ムーティ―が振るというので、年末から楽しみにしていた。

 

 元日の録画をくり返し見ていて、ミイ(猫)に遊んでくれと泣(鳴)かれた。

 

 ムーティ―が、シカゴ・フィルの常任指揮者になった時、シカゴに行って、前夜祭から2晩続けて演奏会に行った。初日のステージが終わった時、彼は

「皆さんの持っているステージの半券で、今夜私が予約しているホテルでのPartyにご招待しますから、どうぞ。」

 と、言ったのだが、こちらは旅行者の身の上であり、シカゴなんて、リムジンで乗りつけるゴージャスなcoupleが闊歩するところですからね、日本人の名誉のために、三石はご遠慮申し上げたのでありました。

 

 それにしてもムーティ―は格好良いです。イタリア人だからという偏見ではないのでしょうが、本物のマフィアのメンバーに見えます。

 ホテルのロビーで出くわした知り合いによると、「バックにGod fatherのテーマ曲が流れていた!」という雰囲気だったらしい。

 

 

閑話休題

 

 ムーティ―が振るというので、年末からウィーン・フィルに関する特番をこまめに録画しておいた。それを夜中に見るので、この一週間はとても忙しい思いをしたのだが、面白かった。

 

 ウィーン・フィルに所属する音楽博物館で、負の歴史の正式展示が始まったという。

 

 ウィーン・フィルは第2次世界大戦中は、ナチスドイツに協力して来た。

 ナチスドイツは、民族主義発揚のため、音楽を積極的に活用し、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は、式典で頻繁に使われ、ドイツやオーストリアの軍需工場では慰労音楽会も盛んに行われたそうだ。

 

 それって、音楽の使い方として正しいよね、と思って見ていたのだが、その前があった。

 ナチスは1938年にウィーンを併合するや、ウィーン・フィルに解散命令を出したらしい。

 だが、ウィーンの人々を懐柔するために解散を引っ込めて、ナチス党員の楽団員を幹部に就任させた。(カラヤンも党員だったものね。)

 当然、ユダヤ系の楽団員は退団に追い込まれたし、コンサート・マスターだったユリウス・シュトヴェルトカ以下6名は強制収容所に送られて、そこで生命を落としている。

 

 色々な番組が色々なことを言っていたが、「ヒトラーが、懐柔のため残そうという決断をしなければ、ウィーン・フィルは消えていました。」というのもあった。

 

 1938年から思うと、人が普通に素直に過去を振り返るのには80年の時が必要だということなのだろうか。

 

 そういえばシカゴではまだカポネ記念館はなかったなあ。そろそろできるかな。

 

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2017年

12月

29日

南方熊楠展

 

 孫達にクリスマス・プレゼントを買ってやろうと思って上野の国立科学博物館に行った。

 ティラノサウルスとトリケラトプスを買おうと思ったのだ。

 それで、その序にもう一度アンデス展に寄り、さすがに3回めなので時間に余裕があって、常設展の方をふと見る。

 

”100年早かった智の人・南方熊楠”

 というポスターが目に入り、ダッシュで2階に駆け上がる。三石は変人好きなのである。

 

 面白かったのは、南方熊楠は森羅万象を探求した「研究者」とされて来たが、そんなものではないという主張だった。

 

 まして植物学者や粘菌学者などではない。なぜなら、論文はないし、絵が下手すぎるというのである。

 それではこの変人は何なのかといえば、「情報提供者」なのだという。資料を広く収集し、蓄積し、提供しようとした男だったというのである。

 

 今の、インターネット社会にこそ、こういう人がどんなに活躍できただろうと、各方面の学者たちがぶしぶし言っているビデオが面白かった。

 

 展示品の書簡、日記、抜粋、写生ノートやメモ書きが並んでいたが、ぐっちゃぐちゃで、熊楠の頭の中が、どんなに爆発していたかが良くわかる。

 興味のあることが一つでもあって、あの筆写がひとつでも読み解ければ、研究者にとっては宝の山であり、道しるべになるのだろうなあ。

 

 このコンピューター時代、誰ぞ、あれをきちんと分類して誰でも理解、検索ができるような物をつくらないか。

 南方の人生は彼一代では終わらないし、それをしないと彼の正当な評価もできずにこのまま終わってしまう。それは惜しい。

 人間の人生は、一代で完成するものではないんだなァ。

 

 因みに、上野はパンダのシャンシャン・フィーバー+国立科学博物館にはプレゼント用の箱も袋も用意がなく=パンダを抱えて歩く人の波の中、ティラノサウルスとトリケラトプスを抱えて歩く三石は、みんなにじろじろみられた!!

 それで気づいたのだが、恐竜好きは息子であり、私はそれにつきあっていただけだと思っていたのだが、実はそうではなくて、私自身が恐竜好きなのでありました。

 孫が喜ぶかどうか、知らんし…。

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2017年

12月

21日

映画『Destiny 鎌倉ものがたり』を見る

 

 昔から西岸良平が好きで、『鎌倉ものがたり』は、30年以上も前から読み続け、買い続けて来た。

 

 平安時代の日本人は日常生活の中に妖怪が存在し、それらに直に触れることさえできたに違いないと思っているのだが、それが現代日本の鎌倉という設定は秀逸だと、かねがね感心していたのである。

 

 その実写版なんて、果たしてうまくいくのだろうかと恐る恐る足を運ぶと、映画館は予想通りのガラガラで、シルバーだらけなのであった。

 

 だが、しかし…私には『ハリー・ポッター』程度にはおもしろかった。黄泉の国での冒険は、思わず手に汗握るほどだったのである。

 

 マンガ原作の中に出て来る猫が気になっていたが、さすがに難しいらしく登場せず。その代わりといってはナンだが、田中泯が貧乏神の役で出て来たので驚いた。

 一色正和(堺雅人)の妻(誰だか知らん)は、原作以上に清々しく、無邪気でイヤ味がなく、大いに気に入った。

 

 鎌倉かァ。変に近いので泊ったことがないのだが、夜の鎌倉なんて、散歩してみたいものだ。田中泯のような貧乏神と出会えぬでもない、という気がするのである。

 

 きっと、この映画は評判にならないと思うが、面白うございました。黄泉の世界は、中国の風景だと思う。

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2017年

10月

31日

『日の名残り』を見る

 

 Bunkamuraでの一週間限定、特別上映。

 

 原作は、英語で読んでいるのに、まるで日本語で読んでいるかのような静かな文体で、日本語で読み直した時には、まるっきり同じ物を二度読んでいるような錯覚だった。

 そして映画も、その雰囲気を全く損なわず、静かでていねいな描写が続いていた。

 

 言いたいことを言わぬ腹芸というものができるのは日本人だけと思いがちだが、こんなふうに見せられると、英国の貴族文化の奥行きにじんわりと感動した。戦国時代の日本の君主と家臣のような話法と礼儀と価値観が、見る者に静かに訴えかけて、カズオ・イシグロでなければ切り取って見せることができない形として残った。まずは重畳。

 

 

 月曜日だというのに満席だった。

 最後の場面で、屋敷を買い取ったアメリカの富豪(引退した下院議員)が、

「昔、この部屋に招かれた時、皆が好きなこと(政治的発言)を言ったけど、あの時、僕は何と言ったっけ?」

 と訊くと、執事が

「存じません。私は私の仕事をしておりましたから。」

 と、言う。アメリカ人は、自分の発言を忘れていたのである。

 執事は「存じません。」と答えることが正しい執事の発言であるからそう答えたのであって、覚えていたのだ。そういうことまでが、映画の最後のあたりになると見る者が全て、理解してしまう。腹芸の文化に飲み込まれて行く。

 原作も、翻訳も、映画もそれぞれに大変けっこうなことでした。

 

 NHKの『ダウントン・アビー』も見どころが多いが、『日の名残り』は、執事の目(主人の快適さ、名誉、財産、人生觀を守り楽しむことを誇りにして生きる者の目)から描かれていて、それがかえって鳥瞰図のように世界が見え、私には心地良かった。

 

 5才までしか日本にいなかったというカズオ・イシグロだけれども、まだまだ若いので、今後の作品を楽しみに待ちたいと思う。

 

 ノーベル賞も、まだまだ人生のゴールとは言えない時代になって来た。

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2017年

9月

11日

神とのコラボについて

 

 教会読書会では、John Dominic Crossan(ジョン・ドミニク・クロッサン)を読み終えたところなのだが、このテキスト(The Power of Parable たとえの力)の中で、collaboration(コラボ)という言葉がよく顔を出し、先生は”協働”と訳された。

 

われらなくして神なく、神なくしてわれらあり得ず聖書の全てのたとえは参加型教育である。イエスは参加型、または協働型の終末思想を宣告して、神の国は神による一方的介入行為ではなく、神と人間の協働による双方的行為であると告知した(デスモンド・ツツ)」

 

「イエスの史的生涯の力は、少なくとも一人の人間が神と十分に協働できたという証明で、信奉者たちに挑んだ。エミリ・ディキンスンは、『灰があることは火があったこと』と書いた。かつて火があったのなら、またあるかもしれない」 ああ、本当に良い話だった…。

 

 という内容を読み終えた途端、一人が「私、Emily Dickinson の映画を見て来たばかりなの。岩波ホールで今、やっているの。混んでいませんよ。」と発言したので、その流れで岩波ホールへ。

 

 驚いたのは、おそらく一語も逃さずにdictationできると思われるスピードでの正しい発音。

(テレビ・ドラマでも70年代の『刑事コジャック』までは何とか聞き取れるが、今のアメリカ・ドラマなんか、半分も聞き取れないスピードで話すものねェ。)

 

 しかし、映画自体は何の魅力もありませんでした。生涯のほとんどを生家から出ずに過ごし、詩作にふけるなんて…これじゃ神さまは愛してくれなかったでしょうよ。人は神とコラボして生きて楽しまなくっちゃねェ。

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2017年

8月

17日

読書について

 

 スコセッシュ監督による『沈黙・サイレンス』で、トモギ村の隠れ切支丹としての重要な役目を、オーディションで勝ち取ったという塚本晋也。

 

 その彼が一昨年、大岡昇平の『野火』を映画化した。監督ばかりでなく、脚本も主演も彼である。

 

 楽しみにしていたのだが、大きな映画館では上映されなかったので、気を付けていたのに見そびれてしまった。

 

 それが何故か、今年、八月十五日の一日だけ、渋谷のユーロスペースで二回上映するという情報を得た。

 

 今度は必ず見ようとぎりぎりまで日程を空けていたのだが、どうしても十五日にしか来られないという生徒がいて、断るわけにもいかずに涙を飲んだ。

 

 

 以前、市川崑による『野火』は見たことがあって、見比べてみたかったのだが致し方ない。生徒の方が大事だもんね。いや、ホント。

 

 だが、これが三石がダビデ(=神の御贔屓)と呼ばれる(…って自分で呼んでいるだけなのだが)所以で、十三日の日曜日の夜にミイがTVのリモコンを踏んだら、いきなり塚本晋也の『野火』が始まるところだったのである。どうよ? わはははは。

 

 もとい。読書の話である。

 『野火』を初めて読んだのは高校一年生の夏だった。生への凄まじい執着の中で神を求める魂の流浪の果ては、「この世は神の怒りの跡にすぎない」と結論する。食料も無いフィリピン戦線で、追い込まれて狂人となって行く主人公・田村は、大岡昇平その人であり、その自他の決定的な溝、魂の永遠の孤独は、高校生ごときが見てはならぬものであった。しかし、それにもまして何よりも印象に残ったのは、大岡の流麗な文体である。崇高な魂から絞り出された美しい日本語だと思った。文章のいくつかは声に出して読んでみたりもしたのである。

 

 高校生の頃、あるいは青年前期(女に青年というのは違和感があるが、他の言葉ではしっくり来ない)の読書の凄い所は、経験がないゆえに、作者の意図が突き抜けるように理解できるところにある。書き手の核心をいきなり理解してしまうのだ。青年期に読書をしなかった者は、大事な能力を無駄にしたと思う。成人してからではそうは読めない。自分の経験が邪魔をして、おかしな経験値や先入観から作者の魂になかなか手が届かないのである。つまり、高校生の私は『野火』を完全に理解していた。戦争など知らなくとも理解した、のである。

 

 だが、今回、塚元の映画『野火』を見て、元の小説がわからなくなった。

 塚本は塚本なりに『野火』を解釈し、それを映画化したのだが、それを見た私の脳ミソはぐちゃぐちゃに煮えてしまったのである。

 

 『野火』自体がわからなくなった。映画を見る前までは小説『野火』の説明が完全にできたはずなのに、見終わったら自分の言葉が消えてしまっていた。もはや、原作の小説さえ一行も思い出さない。これは何としたことか。市川崑の白黒映画では、こんなことはなく、小説は厳然として私の頭に残っていたのに。

 

 この映画の感想は語りたくない。語ってはいけないものだと思った。日本語の美しさも全て消えた。そうして、大岡昇平を読み直そうという気力もなくなっていた。私の受けたこの衝撃は、このまま深く身体の底に沈殿して固まっていくのだろう。火葬場で焼いたら転がり出るかもしれない。

 

 八月十五日の早朝、私は靖国神社に行き、ただ頭を下げて帰った。

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2017年

7月

24日

神宿る海の正倉院 沖ノ島写真展 by 藤原新也

 

 宗像大社の特別許可を得て、禊の後に撮影に挑んだ藤原新也の写真展。

 

 女人禁制の上、島の一木一草持ち帰ってはならぬという神の島。

 

「私が見た物と同じ物を皆さんにもお見せしたい。」

 と、デパートの催事場の床から天井までの大写真。

 

 撮影に立ち会った宗像神社の学芸員は、いつしか正座で見守ったという。

 

 会場は、「ご自由に写真をお撮り下さい。」とあって、皆、写真を写真に撮っているのだが、その光景に全く違和感がなかった。

 

 島から出土した約8万点ものご神宝(銅鏡、翡翠の勾玉、純金の指輪、ササン朝ペルシアのカットグラス)よりも何よりも、巨岩や、人間に踏まれるのを拒絶しているかのような渡り石や、社の雰囲気に大和朝廷の国家祭祀が思われて実に不思議な感覚に陥った。

 

 福岡県、玄界灘に浮かぶたった周囲4kmの孤島。今でも毎日、宗像神社の神職がたったひとりで祝詞をあげているという。

 

 そんな場所をユネスコが世界文化遺産に登録したというのだが、係の人たちは海で禊をして上陸したのだろうか。女人禁制の場所に、外国人なんか上陸させたのだろうか。

 

 藤原は「呼吸を止めて、弓道の矢を放つように集中して撮影していた」らしい。

 

 ビデオ映像の中で藤原が、おもしろいことを言っていた。

 

「人間は最初に産声をあげた時、吸い込んだ空気の90%を吐き出すが10%は肺の中に残る。ふた呼吸めもまた90%吐き出すが、10%は残る。そうやって残った空気は、どんどん入れ代わって、最初の呼吸の分は、どんどん薄くなってはいくが、死ぬまでなくなることはない。沖の島というのは、その最初のひと呼吸の、肺の中に残存しているようなものだ。」

 だって。

 

 ネットで自己がたやすく拡散してしまうような時代に、内に向かって圧を高めるような感覚なのだろう。

 

 中高の先生方は、こういう展覧会を宿題に出してくれればいいのに。

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2017年

7月

10日

国立博物館にタイ展を見に行く

 

 タイに仏像を見に行ったのは、1976年の暮れだから、今から40年以上も前のことになる。

 

 

 その後、家族旅行で行った時には、子供達を象に乗せたり、プーケットで遊んだり、プールサイドで読書をして歌や踊りを楽しんだり、ムエタイを見たり、ごちそうを食べたりで忙しく、まともに仏像を見ていない。

 

 もっとも40年前に仏像を見に行った時ですら、寺院には英語の解説もなく、まともな博物館もなく、私の方にさえ ろくな知識もなかったので、一体、何を見て来たことやら…。

 

 ただ、その後見た ありとあらゆる仏像とは全く違った雰囲気だったことは強烈に印象に残った。

 

 私の印象では、「仏像にマツ毛がある!!」だったが、今回、展示室の中に入って、その雰囲気を完全に思い出した。

 仏像が動いているのである。

 

 仏像というものは、存外 釈迦仏は少ないものなのだが、この展示会は釈迦だらけ。そうして格好良い。

 

 王朝の金ピカの財力にも驚いた。アユタヤに行っても山田長政には会えなかったが、博物館には最古の肖像画もありました。朱印状の立派なのも見た。

 

 イヤホン・ガイドの解説に、みうらじゅん と いとうせいこうが入るというので楽しみにしていたが、本当に楽しかった。だってふたりはずっと雑談しているんだもん。

 

 仏像を見るというのは鑑賞する側に主体があるのだから、へんな解説よりも、彼らのような好き、好き、おもしろい、という感想が見る側の思いを書き立てて、いいのかもしれない。

 

 出口に、生まれた曜日毎の仏像というのが紹介されていて、私は土曜日の生まれだと知っていたが、知らない人が列をなして大騒ぎしていた。

 

 三石の土曜日は、何と!!ナーガに守られる仏陀でした。感動!!

 8月27日までです。

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2017年

6月

12日

浮線綾螺鈿蒔絵手箱を見にサントリー美術館へ

 

 授業が終わってから、生徒達とサントリー美術館に行きました。

 

 玉手箱というのは Sacred Treasure Box で、中に入っているのは化粧道具や鏡や櫛。

 

 化粧には呪術的な意味合いがあり、 privacy の極致なので、やはり他人が開けて見ることは決して許されないという性質の物らしい。

 

 神々に奉納された玉手箱に至っては、材質ばかりでなく、使う文様も、また奉納する人物の身分や品格も厳密な設定があったという。

 

 ずらりと並んだ玉手箱を見ながら、生徒達は、

 

「ねえ、ねえ、このうちの一つをもらうならどれがいい?」

 

 …って、あんたら神様か!?

 

 浦島太郎の玉手箱の話は、腑に落ちないのだが、こんな説もあります。

 

「太郎が玉手箱を開ける理由は、他の女との結婚資金にしようとしたもので、それは乙姫の愛情に対する裏切り行為であるから、その場合を想定した乙姫が予め、呪いをかけておいたものである。」

 

 ふ~ん。

 

 有職故実を解説した邸の見取り図があって、どの場所に何を置き、姫達がどう生活していたかが細かく描かれ、並びに実物大の本物が展示されるので、他人の私生活を覗き見しているような気になってドキドキした。

 

 櫛の一つ一つを見ていると、これは確かに魔除けであったに違いないと、霊気を感じたのであった。

 

 6月21日~26日は、期間限定で、蓋を開けた状態で、蓋裏特別展示があるそうです。

 

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2017年

5月

08日

映画 This Beautiful Fantastic

 

 この邦題はどうかと思うが…。

育ちの良い偏屈物のじいさんというのは、英国の背景あればこそ、はえるね。

 

 感想をひと言で言えば、つまらんおとぎ話でした。

 

 主人公の設定(捨て子で、鳥があたためて命長らえ、どこかの変なじいさん(頭がヘン)に見つけられての修道院育ち)にも無理があるし、そのために名探偵モンクのような強迫神経症になって植物が嫌いという性格設定をわざわざ作っておきながら、内面に踏み込むことなく、庭づくりとラッキーな遺産相続で物語は終わる。

 

 それに何よりも私には English Garden の良さが全くわからない。見ていると3分の2くらいは、むしりたくなる。

 

「混乱と混沌( confusion と chaos )は違うのだ。」

 という、偏屈なじいさんの言っている意味もわからなかった。

 

 そういえば昔、留学生をホーム・ステイさせていた時、恵泉に通っていた彼女の必須科目には園芸という English Garden の作庭を学ぶというものがあったっけ。

 枯山水と苔庭が一番好きな私には一生理解できないかも。

 

 英国ではやはりヒースの野は好きだった。花の季節も荒れ野も好きだった。ヒースは良い。

 

 そろそろ今年も、ひまわりと朝顔の種をまこうと思ってます。

 気が短いので、放ったらかしはできるが、手入れはイヤよ。

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2017年

5月

01日

映画 エルミタージュ美術館

 

 社会主義の時代にも、貴族というものは、学芸員のような形で残っていたのねェ。

 

 期待していた何倍も良かったので、勢い込んでパンフレットを買ったら、これは全く不要でした…。

 

 1764年エカテリナ2世が、317点の絵画をベルリンの実業家から購入したことが、この美術館の始まりだそうだ。

 

 映画はロシアの歴史を追いかけながら、一つ一つの美術品を学芸員がていねいに解説して続いて行く。

 

 あんなに大きな美術館の中を歩きながら鑑賞することを考えると、映画館ですわったまま、画面いっぱいに細部まで見せてくれ、解説も入るのだから、おトク感いっぱいであった。

 

 エカテリナ2世は、戦争の最中に特にどんどん購入したのだそうである。それは、ロシア帝国の財力を敵に見せつけて戦意を喪失させる政治的な意図からだったそうである。

 

 1917年のロシア革命の時、首都がモスクワに移ったことで、この美術館は宮殿からそのまま美術館として残ることになった。

 

 感心したのは美術館の職員達が皆、けっこうな英語で(年寄り達が)自分の意見をまくしたてる様子。

 

「美術品は、どんなに奪っても奪われてもいいと思う。それが私の意見。ただ公開すること、世界に向けて見せていくことだけが大事。」

 と言っていたおばあさんもいた。(学芸員です。)

 

 いい話だなあと思ったのは、第二次世界大戦の時、絵画は額から取り外して疎開させたのだが、おなかをすかせ、傷付いた兵士達が美術館に入って来た時、地下にとどまっていた学芸員が、額だけになって壁に掛けられている絵のひとつひとつを解説し、皆が豊かな気分になったというものだった。

 

 それからプーチン大統領は、本当に芸術に理解があって、

「これだけの指導者は世界でも珍しい。」

 と、館長が語っていた。

 

 美術品を仲介にして、イギリスやドイツとの関わりを語るのを聞けば、我々はニュースで政治の面でしか世界を把握していないけれど、芸術の立場から眺めてみれば、全く違う世界地図が描けるのだと実感した。

 

 エルミタージュ美術館の保管倉庫は、見せるのを前提に作られていて、ガラス張りの倉庫が2kmにわたって続いているのだそうである。

 

 プーチン大統領はペテルブルクの出身で、各国の首相を必ずここに案内するというのだが、安倍さん案内してもらったかなあ。それどころじゃないのかなあ。

 

 この映画、有楽町駅前のヒューマン・トラストでしか上映していません。

 首都圏にお住まいの方々、是非にとお勧め致します。

 

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2017年

4月

24日

学習院大学史料館 春期特別展 宮廷装束の世界

 

 

 

 

 世の中には衣紋道えもんどうという物があって、衣冠束帯や十二単を着付ける技術が山科・高倉両家に伝わっており、明治以後も宮内省で継承されて来たらしい。

 素材や織が独特なので、プロの技術が必要なのだそうだ。

 

 学習院の資料館ならでは、こんな本物の色を見ることは到底できない。

 椿山荘を会場にして着付けの実演や蹴鞠などを見せたのだが、その様子は史料館にあるDVDで見ることができる。

 

 言葉と漢字だけで何となく見当をつけていた色や模様を目の前にして、大変ありがたかった。あれだけの贅沢品を直接目にすると、” 禁色 ”の意味も自ずからわかる。

 

 産着などは針の目数まで決まっていて、” あなたふと ”でありました。

 

 

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2017年

4月

17日

他から回って来た本

 私はラ抜き言葉は気になるし、いい大人が流行に乗って変な言葉を使うのはどうかと思うけど、時々ハッとするような単語に出くわして嬉しくなることがある。

 

 状態を表わすハズの単語を動作に変化させたりするのは面白い。

 

 この本で私が気になって、一度使ってみたいと思ったのが

 ”だるしむ”

 キャハハと笑っちゃいました。

 

”楽しい→楽しむ” ”悲しい→悲しむ” はあるが ”嬉しい→嬉しむ” は、ない。

”だるい→だるしむ” だって。どこかで一度使ってみたいよ。

 

 先日、感心したのが「SAJ」という話法についてだった。

 

 「好きだ」と告白する。(S)

 断るときには「ありがとう。」という。(A)

 そうして、「ありがとう」と言われちゃった子は「冗談だよ」と続ける。(J)

 

 のだそうだ。

 近頃の若者は、相手を傷つけず、自分も傷つかないように色々考えているんだなあ。感心してしまった。

 

 

 

 

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2017年

3月

27日

アンドロイド夏目漱石の授業を受けに二松学舎大学のお花見オープンキャンパスに行く

 私の高校の古典の先生は、国学院と二松学舎の出身だった。特に二松学舎出身の宮原先生は、佐古純一郎先生の弟子だということを非常に誇りにしておられて、白樺派好きだった私は羨ましく思っていた。

 

 夏目漱石は、14才の時、漢学塾として創立された二松学舎大学の創立者・三島中洲について漢学を1年半習ったらしく、その時の様子を、

「机もない古い畳の上で、カルタ取りの時のような姿勢で勉強した」

「輪講の順番を決めるくじも漢学流で(…って、どんなの?)何事も徹底して漢学式だった」

 と回想している。

 

 アンドロイドに講義をさせるため、音源を求めたところ、広島の大金持ち加計町の加計さんが持っていたとのこと。

 彼は25代当主だが、曾祖父の22代当主が漱石の弟子で、(東大です)広島に帰る時、銀座で蓄音機を購入し、漱石の声を持って帰ったそうである。ふうん。

 

 肝腎の講義は、私の想像とは全く別の物だった。私は漱石の授業の再現を期待していたのである。実際、漱石の講義録は、かなり詳細なものが残っているらしいのだ。しかし、これでは全くのディズニー・ランドだ。だってね、『夢十夜』のうちの第一夜をけっこうイラッとするテンポで朗読したあとで、

「私が死んでから、精神医学でこの作品が解釈されて…云々」

 と、それって誰の授業だよ!?

 そんな授業なら、三石が代わりたいくらいだってば…。

 

 でもまあ、せっかく来たので何か模擬授業を受けようと書道の教室に行ったら、これがとても面白かった。福島一浩という教授が、漱石の俳句を書いてみせたあとに、

「書は音楽と同じように鑑賞するものなのです。これは決して “生きて世に梅一輪の春寒く” という句ではありません。「生きて」で呼吸し、「世に」はつけ加え、「梅一輪」ではなく、高く「梅」そこで切って「一輪」、それから同じ調子で「の」。「春」は、ひきずって沈み、「さむ」、そして「く」。書を学ぶことは文学を学ぶことなのです。是非、二松学舎で書を学び、文学の理解を深めてほしい。」

 だって。ふうむ。

 

 それから、見学者ひとりひとりに、手書きの書のしおりを配ってくれたのでした。

 

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2017年

1月

31日

マーティン・スコセッシの『沈黙』を見て考えたこと

 

 私の好きな言葉に

「人は過去を塗り替えることができる」

 というのがある。

 どこで聞いた誰の言葉だったかは忘れてしまった。

 

 私にはやり直したい過去はないし、過去に戻ったとしても同じことを選択する、と言い続けて来たのだが、その理由の一つは「絶対に過去は変えられない」という真理がある。だが、「過去は変えられる」という確信もまた、現在の私の力になっているのである。

 

 過去に起きた事象を変えることは当然できないのだが、その事象の意味を変えることは可能であり、変える力は過去にではなく、現在と未来にあるということだ。

 

 分かりやすい例を挙げれば「不良の馬鹿息子」が、「偉大な小説家」に化けるようなものである。

 

 過去のまま終われば、ただの「馬鹿息子」が、現在の努力によって将来は「偉大な小説家」になるとする。そうすると、他人はまず、「小さい時から、文学の素質があった」「独特の思考回路があった」と、過去の事象の記憶を塗り替え始めるのである。そうなれば、必然的に本人の中でも、そういう認知が進んで過去の自己肯定に至る。そのままでは到底、自分では肯定できない過去の自分を、意味を置き換えることによって、記憶を塗り替えて、自己肯定の高みに登れるというわけなのだ。私には塗り替えるべき過去はあっても、恥ずべき過去はないのだというのが、私の自己肯定の大半を占めている。

 

 さて、沈黙である。私がこの作品の登場人物で興味があるのは、まずはキチジローであり、次には井上様である。

 

 キチジローが、

「この俺(おい)は転び者だとも。だとて一昔前に生まれ合わせていたならば、善かあ切支丹としてハライソ(=天国)に参ったかも知れん。こげんに転び者よと信徒衆に蔑(みこな)されずにすんだでありましょうに。近世の時に生まれあわされたばっかりに…恨めしか。俺は恨めしか。」

 は、切ない。イエスが招く最良の弱者・キチジローの姿である。

 

 筑後守・井上は、もう少し知的なクリスチャンであった。

 棄教した神父・フェレイラが主人公の司祭に踏み絵を勧める時の、

「さあ。今まで誰もしなかった一番辛い愛の行為をするのだ。」

 というセリフもクリスチャンのものだ。もし、イエスがここにいたら、きっと踏み絵を踏むに違いないというのも単に「悪魔のささやき」とは言えない。

(イエスはものの軽重が分かるフレキシブルな男である。因みに三石は洗礼を受けた時、牧師から「踏み絵は踏んで良い」という許可を得ている。ワハハ。)

 

 キチジローは、

「じゃが、俺にゃあ俺の言い分があっと。踏み絵ば踏んだ者には、踏んだ者の言い分があっと。踏み絵をば俺が悦んで踏んだとでも思っとっとか。踏んだこの脚は痛か。痛かよオ。俺を弱か者に生まれさせおきながら、強か者の真似ばせろとデウスさまは仰せ出される。それは無理無法と言うもんじゃい。」

 と言う。こんな男をこそイエスは招いたであろう。

 

 キチジローは、物語の中で徹頭徹尾クリスチャンである。主人公のロドリゴも棄教してからも死ぬまでクリスチャンであった。私に言わせれば井上もクリスチャンである。信仰は他人が認めるものではない。本人の心の中だけにあるものだ。

 

 映画で「可」という評価を付けた理由は、スコセッシが、ロドリゴの信仰だけを認める解釈をしているからである。「日本教キリスト派」の概念がすっぽりと無い。

 本当に余計だと思ったのは、仏教の坊主を呼び、戒名を付け、仏教式の葬儀の後、火葬され、棺桶の中が写される。その胸には日本人の妻の手でこっそりと入れられた十字架があった。これ、ダメでしょ。ロドリゴは信仰の形を変えたのだ。新しい形で神の愛を教え、人々に布教する方法を棄教という形式の後に手に入れたのだと信じるからだ。

 

 最大のテーマは「神は沈黙していたのではない。神は一緒に苦しんでおられたのだ。」に、尽きると思う。キチジローと共に苦しみ、井上と共に苦しんでいるのである。

 

 浅野忠信を始め、日本人スタッフの英語が堪能なことに驚き、時代を感じた。

 考えてみれば、オペラ歌手は何語の歌だろうが歌うのだから、役者がそれを出来ない筈はなかったのだけれども。

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2016年

12月

09日

映画『聖の青春』

 

 棋士・村山聖の実話物語。

 

 「どうだった?」と訊かれたが、何せ暗い苦しい話なので、「見てくれば?」とは勧められなかった。

 

 羽生との対局を見ていた人が、

「あんな息苦しい所には一分もいられない」

 と言っていたが、スクリーンのこっち側まで息苦しかった。

 

 松山ケンイチは歩き方まで実物にそっくりで胸を打つ。

 Death Note であんなにガリガリのLをやっていた同じ男だと思うと、役者というのは凄いな。

 

 原作が『聖の青春』なので仕方ないのだが、青春しかなかった人間の人生に ”青春” というのはあんまりだという気がした。

 <名人になって引退してゆっくりする>のが夢だと語るのが苦しかった。

 

 怠け者の話に、

「なぜ、そうあくせく働く?」「金をためるため」

「金をためてどうする?」  「ゆっくりする」

「じゃ、今の俺と同じだな…」

 というのがあるが、人が生きるとはどういうことなのか、ただ迫力だけを感じた。

 

 村山聖はたとえ健康体に生まれていても破滅型の人間なのだろう。

 酒と女とギャンブルに生命をすり減らしたのだろうと思う。

 

 人が生命を生き切るというのはどういうことなのか。

 破滅型などと呼ぶのは他人だけで、生き切るにも天賦の才があるのかもしれない。

 汚さ(不潔)までが凄味になっていた。

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2016年

11月

14日

映画『永い言い訳』

 

 本木雅弘の久しぶりの主演映画だというので『永い言い訳』を見て来た。

 

 これはね、文字で読むべきお話であって、映画で見るお話じゃないなあ。

 

 現代風だと思ったのは、

「子育てって、男の言い訳になるんだよ。」

 というセリフ。

 

 一世代前の男は、自分の存在意義について頼りなく思った時に” 子育てに逃れる ”という選択肢はなかったし、発想としても思い浮かばなかったことだろう。

 

 子供がいない、子供を持とうとも思ったことのない主人公・本木くんが、突然の事故で妻に死なれ、悲しみさえ感じられないという identity の失い方をした時に、全く知らない子供達の世話をすることになる。

 

 それはその場逃れの言い訳、自分の中での演技、およそ暇つぶしのようなものなのだが、自己というものが、実生活の無価値とも思える日常の中で形成されていく。身体のすることに序々に心がついていく。

 

 共感するが食い足りない映画だった。やはり原作を読みたい。

 

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2016年

10月

17日

映画『怒り』を見る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 是非見るようにと、同期の仲間にすすめられて、時間をつくって池袋のサンシャインに自転車で行く。

 

 いきなり血とベッドシーンが続き、ちょっと待ってくれ!最後まで見ますけれども、ちょっと休みたい。ああ これがDVDなら、好きな時に止めて休めるのにな、と思っていたら、いきなり映画の画面が切れて屋内が明るくなり、係の人が出て来て

「申し訳ありません。原因不明の停電です。そのままお待ち下さい」

 と言う。室内が明るくなって「停電です」もないもんだと思っていたが、これが例のさいたま停電で西武線は運休となったアレだった。

 

 というわけで、およそ15分の休憩のあと、気を取り直しての映画鑑賞となったのだった…私ってやっぱりダビデね。

 

 いや、ちょっと頭を抱えるような話ではありましたが、一言で言えば私には関係ないわ。非難をしようとは思わないが、所詮、他人を信じるということは自分の力量の問題であり、自分に誇りを持ち、自分を信じられない人間には他人を信じることは難しいのだろう。他人の人格に対するコメントは、自分の人格をそのまま映し出すことになるので、こりゃ大変なことだ、などと思いながら、本屋に寄って、文庫本で『怒り』の上、下を買って読み出す。

 

 映画とはずいぶん雰囲気が違っている。なかなか良い。小説というのはテーマがあり、材料はその手段に過ぎないのだが映画は材料が前面に出てしまうので、つらいこともありますね。

 

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2016年

9月

26日

携帯電話を買いに行く

 

老後の準備は携帯から

 

  このところ、2回に一度くらい、使うたびに、ICチップがどうじゃら、こうじゃらという表示が出てイライラし、いよいよ寿命と諦めて au の早稲田ショップに飛んで行きました。

 

 i phone の7が発売されたばかりで、新機種を求める人の中、

 

「これからは2度と手に入らないガラ携が欲しい。」

 

 と注文。今まで使っていた携帯のデータを新しいのに移してもらうため、16Gのチップを5000円以上で買い、

(これも一つしか残っていなかった。今はみな32Gだそうである。ちなみに今まで使っていたのは1Gである。)

 

「7年半、使っていますね。」

 

 の店員の言葉に自分でも驚く。

 

 今から年はとるし、i pad を持っているから、

 

「スケジュール管理と、メールの送受信と、電話は1ヶ月で30分話せればいいです。」

 

 と言って、手にしたのは、 au KYF32というカンタンケータイ。

(迷子になりそうな年寄りが孫に買ってもらって持たされるヤツ。)

 

 待ち受け画面に万歩計が付いているので、東海道五十三次に設定して、今、日本橋から品川を目指して歩いてます。

 

 オプションで「一歩も歩かなかった時、あるいは電源を時間までに入れなかった時に、誰かに通知しますか?」というのがあった。手厚いね。

 

 一番嬉しかったのは取扱説明書の見やすく、わかりやすく、文章の簡潔さ。

 はい、はい。みんな理解できるもんね…って、当たり前か。

 

 時代を感じたのは、古い携帯からデータを移してもらう時、(再三拒まれたが拝み倒しました)何枚も何枚も承諾書を書かされたこと。

 色々な事件が起きているからねェ。何年使えるかな?

 

 …と、携帯を手にしたのが、18日の日曜日。

 

 私は歩くスピードも人よりはずっと速いし、相応な健脚家だと自負していたのだが、驚いたことに、この一週間は授業と自分の勉強だけで、(一番の ”遠出” は、近所の教会読書会と銀行、郵便局程度)夜眠る前に歩数計を見てみると300歩なんて日もあった。

 

 日本橋から品川までの遠いこと、遠いこと。6日めの金曜日が終わった時に、品川までの旅程が3.5kmくらいだったのだ。

 これには自分でびっくり…。こんな不健康なこと…。

 

 ところが7日めの土曜日、渋谷のセルリアン・タワーまで狂言を見に出かけ、戻ってくると、いつの間にか品川を通り過ぎていた。

 

 夕方からは総会でかけまわり、2次会の会場まで行き(例によっておネムになって中座しましたが)その夜寝る前に見てみると、1日で6.7km、11249歩歩いていたのでした。

 

 1日に6.7km歩いても、累計を見れば10.5kmしか歩いていないということが判明したのでした。ものすごくびっくりしました!!

 

 夕方からの総会では、 au のYさんが

 

「スマホにはストラップを使わないから、もうないでしょうから。」

 

 と、リスモのストラップを一生分持って来てくれたのでした。

 

 最近、財布や鍵束や携帯、ありとあらゆる物をストラップで鞄につなぎ、笑っちゃうくらい、ズルズルとやって安心しているので、同期の労わりが身にしみたことでした。

 

 会社人間が会社に通わなくなり、駅の階段も乗り換えも日常生活から遠くなり、ホイホイ遊びまわる性格ではないとすると、老化は早くなるだろうなと実感した。

 ご要心、ご要心。

 

 

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2016年

9月

20日

映画 君の名は

 

 ニッポン放送の収録で、ディレクターやスタッフの3人が『シン・ゴジラ』が良かったという話で盛り上がり、(もちろん三石もその一人ですが)、他の3人が『君の名は』が良かったという話で盛り上がっていた。

 

 ディレクターが

「『シン・ゴジラ』を見るくらいなら『君の名は』を見るように勧められたので見て来た。良かった。」

 というので、

「そう勧めた人は『シン・ゴジラ』を見たのか?」

 と訊いてみたら、「いや。」とのこと。

 結局、両方観た人はいなかったので、仕方なく私が見に行く。あ~あ。

 

 監督は長野県出身。しかも敬愛するS氏の出身校・野沢北高校の卒業ということで、かなりのシンパシーをもって好意的に見たのだが、

 

 もったいないというよりは、” 迎合した文学 " " 軽~く、薄~い荘子哲学 "。文学と哲学を諦めて、女子供に媚を売った堕落作品(こんなに本気で悪口を言うのは、生徒以外にはありません)でした。

 

 「糸をよる」「ひもを結ぶ」という言葉を中心にして、時間軸をずらすという哲学の概念をちょっとだけいじりながら、でも、小学生にも中学生にも、おねーちゃんにも" わかる "ようにさせたかったのか。それとも自分でもそれ以上書けなかったのか。

 

 30枚で挫折した意気込みだけはある短編を無理矢理読まされたような後味の悪さをどうしようもなかった。

 

 この映画で少しでも心をゆすぶられた人には、「まっとうな勉強をしてくれ!」と言いたい。

 

 TOHOの関係者情報では、今年一番の興行成績になるかもしれないとのこと。

 皆、軽~い哲学に飢えているのだろうか。

 

 それにしても、文学を諦めた男っていうのは、後味が悪いな。

最初から手を出すな!

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2016年

9月

12日

シン・ゴジラを見る!!

 ゴジラは昭和29年(1954年)の生まれで、私と同い年です。だからというわけではないけれど、大好き。

 

 1954年の映画を見た時には、あまりの文学性に驚き、素晴らしい反戦、反核の映画だと思った。オキシジェン・デストロイヤーを造りあげた片目の博士が格好良くて、可哀想で、彼を捨ててサルベージ船の若者に走った馬鹿女に腹を立てていた少女でした。

 

 今回のゴジラは、まずその強さに圧倒されてしまい、ついに来ましたか ”放射能熱” にあんぐり。

 

 東京に核兵器を落とすなんて発想、ひと昔前なら考えられませんでしたよ。

 

 やっぱり自衛隊は格好良い。ゴジラと自衛隊はセットですもんね。

 

 私はイージス艦にもおおすみにも戦車にも乗ったことがあり、航空自衛隊の観閲式や曲芸飛行も見たことがあるので、本当にリアリティーがあって、ワクワク。ドキドキした。

 

 もっとも映画が始まってすぐに、品川の家がゴジラにつぶされ、北品川の駅も木っ端微塵。みんな品川神社の階段に押し寄せるのを見て唖然。あーあ。

 

 ラストの主人公の「人類はゴジラと共に生きる道しかない。」に時代を感じました。ピカデリーで見終わってすぐ、もう一度IMAXで見て、3回目を見たい!!

                           今度は4Dで見るんだ…

 

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2016年

6月

13日

映画『殿、利息でござる!』

 

 『武士の家計簿』の磯田道史による『無私の日本人』の中の穀田屋十三郎の話が、またしても映画になったというので見に行く。阿部サダヲも気になるし…。

 

 磯田の作品は面白いのだけれども、自分の能力を越えて司馬遼太郎なみに歴史分析をしようとしているのがウルサイ!!文中で、そこはもういいから、あなたの話は聞かなくていいから、ストーリーを先に進めてちょうだいよ、と思うところが何ヵ所もある。

 

 映画はおもしろかった!大胆に、途中をバサバサ切ったり、膨らませて泣かせたり、うまいなあ、と感心。三石にはとてもできない決断がいくつもいくつもあって嘆息。

 原作には東北人の(仙台藩の)気質として書かれる粘り強さや楽天性や人の好さが、映画では、マンガみたいな好運に集約されていて退屈させない。

 

 殿様役のチョイ役で羽生結弦くんが登場。姿勢がいいからサマになっていました。

 本には(映画公開に伴って文庫本も発行された)穀田屋十三郎の他に荻生狙来の弟子となった中根東里(この人、知らなかったなあ…)や、大田垣蓮月が収録されていて、偉い日本人というのはいるもんだ!と、ちょっと嬉しい気持ちになります。

 

 中根東里の庵の壁に書かれていた言葉の中に

  出づる月を待つべし。散る花を追ふことなかれ。

 というのがあったそうで、いいねえ。

  水を飲んで楽しむ者あり。錦を着て憂ふる者あり。

 ごもっとも。

 

 映画の話に戻ると、貧乏な村を救うことに奔走した何人かが申し合わせの署名で「子々孫々、会合の時には下座にすわること」を決めたというのも面白かった。原作はちょっとニュアンスが違うけれども、大意は同じ。

 

 聖書には

 あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。

                             (マタイ伝6-3)

 というのがある。私はこの翻訳(性格な直訳)がとても気に入っている。ちなみに英語の翻訳ではABSでも、イギリスのHarper Collinsでもちょっとおもしろくない。

 But when you help a needy person, do it in such a way that even your closest friend will not know about it.

 

 聖書というのは英語からの翻訳ではないので、日本語の訳の方が数段すぐれている場合がよくあるんです。

 

 右手のしていることを左手にも知らせるな…って、ちょっといいでしょ。そういう日本人が昔も今も大勢いることを忘れないようにね。

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2016年

5月

11日

映画『追憶の森』

 富士の樹海って本当にあんななのか…

 私は山の子なので、やっぱり山は怖い!!

 

 映画を見終わって是非原作を読みたいと思い、受付に並べられていた本を手にとったら、ノベライズされたものだった。あああ。脚本で見てみたかった。

 

 アメリカ人にも仏教徒というのは増えているし、日本人の死生観に共感する人達も、そうでなくても興味を持つ人達もいるとは知っていたが、ここまで来たか。

 アメリカ人もこういうこと(魂や霊の存在、spirit という単語を使っていた。やっぱりこの単語が一番ヘブライ語の ”息” に近いのだろう)に正面から向かうようになったのかと、ちょっと驚く。

 

 最初、アメリカ人に妻と娘の名前を聞かれて、渡辺謙が

「妻の名はキイロ。娘の名はフユ」

 と答える。おっと、さすがにアメリカ人の脚本だよ、などと思っていたのが大間違い。男は、妻の好きな色も好きな季節も知らずに死なれてしまった自分の人生を悔いての樹海入りだったのである。

 渡辺謙は、実は人間ではなくて、生と死との境に存在する樹海の霊のようなものだったのだと、映画の終わりに突然じーんと分かるのである。うまい脚本だなあと、ため息が出た。

 

 さすがにキリスト教徒の国だと思ったのは、男は死ぬ決心をして樹海に入ったのに、渡辺謙の「生きて出たい」という願いのためだけに、必死に出口を求めるという設定。他人を救いたいという一途な思いが、男に生への執着を蘇らせてゆく。

 

 そういえば津軽旅行の時、後輩が露天風呂で、「死生観と生き方とは、どう違うのか?」と言って来て、「生き方とうのは、一本の紐のように人生を捉えた場合の、初めと終わりがあるその途中の how to であり、死生観というのは紐ではなく輪状のものとして、生に続く死を想定してのことではないのか。」と、スッポンポンで答えたのだが、この映画でも同じようなことを思った。

 

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2016年

4月

11日

映画『アイリス・アプフェル 94才のニューヨーカー』を見に行きました。

  ドキュメンタリー・フィルムです。

 80才でデビューした94才のファッション・アイコン。

 若い頃から夫とふたりで旅をし、服やアクセサリーや家具、小物などを買いまくり、着まくって、ある時、それをメトロポリタン美術館で展示したら、みんながそのセンスにワーッと驚いた。

 夫は101才の誕生日直前に亡くなったが、「妻がドンドン金を使う」と、ヘラヘラしていました。いいねえ。

 テレビや雑誌の取材や、若い人への教育にヒーヒー言いながらも、

「重病じゃないなら自分を駆り立てて外へ出て、調子の悪さを忘れる。」

 のだそうな。世界で初めて、ジーンズをはいた女性だということです。

「美人じゃなくて良かった。美人は年をとると何にもなくなってしまう。」

 という彼女はニューヨーク大卒で、歴史も経済もファッションセンスには必要だと語る。さらに、

「ファッションセンスなどなくても、幸せならそれでいい。皆が好きな服を着るべきだと思うから。」

 だって。相当に格好いいよねえ。

「服も、アクセサリーも家具も、人間が物を所有することはできない。私にあずけられているだけ。だから次の人に渡す。」

 と、倉庫を整理する様子も感動的だった。私より33才年上ということは、辛い時代も経験して来ただろうに、こんなに楽しがっている最晩年のおばあちゃんに、ワクワク、ドキドキした。

「重いネックレスは、30分で帰れる日じゃないと使わない。」

 と言いながらも、ジャラジャラのキラキラだった。どこからどう見ても格好いい。広~い家と、たくさんの倉庫が、まるで博物館のようでした。

「値段交渉には美学がある。」そうな。

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2016年

3月

07日

映画 偉大なるマルグリット を見に行く。

 

 前後の状況を覚えていないのだが、以前、教会の人に大音痴のCDをいただいたことがあり、

「この音痴の大会というのが、アメリカでは人気があるそうな。」

 というのを聞き、家で ”夜の女王” を聴いてみて、ただ呆然として脳味噌が止まったことがあった。真剣に歌っていることだけは伝わるので笑おうにも笑えなかったのでした。

 『広辞苑』によれば「音痴」というのは「生理的欠陥によって正しい音の認識と記憶が発生できないこと」と、病気扱いなのだが、鈴木慎一は ”人は環境の子なり” といい、また幼児教育の立場から言っても、楽器の演奏できる音痴はいないのだと知っているので、何とも不思議でなりません。

 この映画のモデルとなったフローレンス・フォスター・ジェンキンスは、カーネギーホールでリサイタルを開いたこともあり、映画館には輸入盤のCDが2種類も揃えてあって、まだ売れているということらしい。

 誰が聴いても音痴なのに、誰からも愛された "ソプラノ歌手" だったそうである。映画は、もう少し深刻な話になっていた。

 妻のしていることが恥ずかしくてたまらない夫は、妻が歌う時には "ポンコツ車" のせいにしていつも遅刻をし、感性が理解できないといって別の女と浮気を続けていたのだが、いざいざ皆が妻を侮辱し、玩具にしているのを知ると、妻の誇りを守ろうとして自分の見栄や体裁を捨てる。誰にも音痴だと言わせないばかりか、最後には録音盤を聞かせて本人に自覚させようとする医者の計画を中止させようとする。

 主人公は、オペラの感動を多くの人々に伝えたいと必死になって笑われるだけなのに、その夫婦愛自体が壮大なオペラになって観客の胸を打つのだった。

 感心したのは、プロの歌唱力。映画全編に出てくるアリアの数々も聞きごたえがあったが、何といってもあの音痴の吹き替えはプロの業だ。

 知っている曲をあんなふうに音痴に歌うのは、プロの音楽家にしかできないことだ。

 腹があったのは、登場人物の各人の執事のゆがんだ愛情で、自分の趣味である夫人の写真撮影の "最後の一枚" が欲しいために、音痴を自覚させる計画を中止せよという夫の命令を医者に伝えない。録音された声を聴いて夫人が気を失い、かけつけた男が抱きかかえて悲嘆にくれるという場面でパチリ。これでオペラが完結というEnding.

 舞台を1920年代のフランスに移しての大創作。まあ、よくできていました。

 主演はカトリーヌ・フロ。

 "伝説の音痴" と呼ばれた "実在の歌姫" から生まれた "人生オペラ"

 ☆でもね、音痴の歌で人を感動させることは絶対に無理だよね。

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2016年

2月

08日

映画『最愛の子』を見る

 

 福山の『そして、父になる』は、悲しくて悲しくて、原因を作った看護婦に腹が立って、錯乱するほどの動揺を覚えたのだが、この映画は、実話とはいえ、現代中国の人買いや幼児誘拐が普通の事件だという社会性にどうしてもsimpathyを持つことができず、見ていて心がウロウロした。

 

 ラジオの収録終わりに映画を一本見て帰ろうとしていたのだが、ちょうどいい時間帯がこれだったので、頭を混乱させて帰る。

 誘拐直後から父はTVで、「息子は桃アレルギーだから、息子を買った人は、どうぞ桃を食べさせないで下さい。」と訴える。3年後に農村でやっと見つけた息子を奪い返すと、育ての母が、「桃アレルギーがあるから、桃を食べさせないで。」と言いすがる。

 まあ、どっちに同情するって、父親に同情するのだが、この育ての母は、死んだ夫に、「お前が不妊症だから、よその女に生ませた子」だと言い含められていたのだった。その夫は、誘拐児の妹に当たる女児(捨て子)も拾って来て妻に渡していた。せめて妹だけでも育てたいと、捨て子を証明してくれる男に身を投げ出して裁判で争っていると、やがて自分が妊娠していることに気づく。(病院の検査で知らされる。)女が泣き崩れて物語は終わり、心に傷を負った子供達と夫婦の現在がドキュメンタリー・フィルムで紹介される。

 こんなの、一体どうしたら、いいんじゃ!?”感動と絶賛”には程遠い気分でありました。

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2015年

9月

28日

映画 Kingsman を見る

 歌姫からメールが来て、「とっても面白かったので是非」というので見に行く。

 連休で混んでいるとイヤだなあ~と、インターネットで予約して行ったのだが、座っていると「その席、私のですが…」と言われ、チケットをよく見てみれば、翌日のチケットだった!!

 満席になった時点でインターネットの画面は自動的に翌日のものに切り替わるのだそうな。

 …とはいえ、既にモギられちゃってるし、係員に申し出たら、同じメにあった中年カップルがいた。「では、こちらにどうぞ。」と案内されたのが車椅子席(4席ある)で、満席の映画館で隣が空席という超ラッキー!!

 イギリス人のユーモアってば…!!という感想。歌姫ってホント、性格いいわ!という感想。三石は春画展を「とっても良いので見に行って」と勧めることは何でもないが、Kingsmanを「とっても面白かったので是非」とは恥ずかしくて言えない。そういう意味でメタホドスで紹介しなかった物は相当ある。

 この映画、相当にイヤらしいです。

 最後に人間の頭がひとつひとつ爆発して花火のように打ち上がって行くのは、イギリス人のユーモア。絶対に起こらない絵空事なのでユーモア。これが毎日ドンパチやっているアメリカ人が見たら、とてもイギリス人のようにワハハ…とは笑えないだろうな。(B.G.M.は”威風堂々”)

 面白かったのは、スパイとして養成される若者が犬を飼わされて、その名がJ.B.

指導官が「ジェームス・ボンドか?」と訊くと、「いや、ジャック・バウアー」だって。教官は「そうか…」とションボリした。思わず笑い声が出た。


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2015年

6月

06日

更級日記 kindle版

 お待たせしました…(って、誰も待っていなかったでしょうが)

 

 世の中には『更級日記』をライフ・ワークにする男もいるんだよ。とっても不思議。

 これは高校生が試験の時に使って下さいな。

 今、『百人一首』をやってるからお待ち下さいね。

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2015年

5月

25日

HOUSE of CARDS

 安倍総理が冗談で、

「麻生さんには見せたくない」

 と言ったドラマだと聞いて見始め、何度も何度も中断(というか挫折)して、やっと見終える。

 こんなに主人公に一点の感情移入もできない、というよりできればすれ違うのさえ憚れるような人物もないものだと思いながら、いらいら、ぐずぐずと見ていたのだが、最後の最後の場面で、自分でもどうしようもないほど感激してしまった。

 きっと後世に名を残す大統領になるのだろうと思った。

 回転が早く、スキがない。あれに夢中で、これを見損なうということがない。

 昔、田舎の高校生だった頃、”外見より中身だ”と言われていた時分、そんなことを言う先生に対して、

「田舎者め!世の中には両方そろっている人が五万といるのだから、女子高生に外見の価値観を否定しちゃだめだ!」

 と、心の中で悪態をついていたのだが、何だかそれと似た感情が湧き上がって来た。

 権謀術数を用い、上昇志向が強く、名誉欲と権力欲がある主人公は、それと同程度かあるいはそれ以上の政治能力があるに違いないと思わせる。

 この夫婦の関係も私には実に魅力的で、我ながら“病んでいるのかもしれない”と思ってしまった。

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2015年

5月

11日

Bunkamura ザ・ミュージアム ボッティチェリとルネサンス展

 ボッティチェリの絵は、別にどうでもいいのだけれど(一定の興味関心以上の物は全くない)メディチ家の財力と権力に圧倒された。

 フィレンツェには何度も行ったし、実際にその豪華絢爛ぶりも見ているのだが、きちんと解説されると財力に胸を打たれる。

 教会から禁じられていた金融、銀行業での巨万の富を蓄え、窮極のマネー・ロンダリングとして教会の聖画などを描かせて寄附するということだったのですねえ。

 ヨーロッパ各地に置いた銀行の支店を利用し、芸術家達を次々に発掘したばかりでなく、各地の音楽まで収集していた道楽ぶりを見ると、腐るほどの財力の中でしか生まれも育ちもしない人材というものがあるのだとつくづく思う。メディチ家も、好き放題の権力を手に入れて芸術三昧にふけったのは孫のロレンツォだし。

     ↑

 こんな御殿での受胎告知…って素敵!!

 聖書じゃなく、ギリシャ神話をテーマにしなさいよね、と思っていたけれど、目的がマネー・ロンダリングなのだからしょうがない。

 東大寺の大仏再建立のために勧進に歩いた僧達を思うと、一目こんなの見せてやりたいものだ。

 ボッティチェリの作品は17点、その他の彫刻や工芸品、また例の金泥楽譜など80点も集合してます。

 渋谷じゃなくて、上野でやれ!と思いましたよ。

 きっとみんな見逃すんだろうな。

 あ、メディチ家は、ローマ法王まで出して(金持ちが何が悲しくて法皇に?)その庇護まで受けるようになるのだが、滅んだ原因というのも清貧を訴える革命僧だったのです。

 ヤツは(名前を忘れた)贅沢だと言って、ボッティチェリの作品をいくつも火にくべたらしい。

 いつの時代にもいるんですね。そういうわけのわからんヤツ。


         渋谷の文化村です。 ¥1,500ー


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2015年

4月

27日

映画『博士と彼女のセオリー』

 原題は Theory of everything なのに、邦題はなぜ ”博士と彼女の” という限定になったのだろう。

 昔からホーキング博士は大好きだった。

 文句なく、生きる意欲と、それを支える脳に感動するからである。

 20代で、後2年と宣告された命が、その後結婚して、子供は3人。現在は73才になった。

 最後の場面で、博士が、

「Where there is a life, there is a hope.」

 と言ったが、いや、それは逆でしょう。

 車椅子になって話せなくなってからも、妻以外の女性を求めた能力に脱帽します。

 同じ病人なら、こんな病人になりたいことだ。

 博士、いつまでもお元気で。人類の科学のために。

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2015年

4月

06日

根津美術館へ

 御招待券を頂きホイホイと出かけました。良かったよ。

 どういうわけか、昔からブツが大好きで、当然のことながら、仏教のパラレル・ワールドにも心ひかれています。

 根津美術館の”菩薩”の説明に「菩薩とは、悟りを得たにもかかわらず、あえて人間界に降りて、人間の苦楽に向き合い、救済の手をさしのべる仏のこと」とあった。

 おい、それは違うだろう。いや、そういう解釈もあるのだろうか。そうすると随分と意味が違ってくるぞ。やっぱり、それは駄目でしょうよ。

  仏には格というものがあって、一番上が”如来にょらい”。

 如来の中のトップは釈迦如来だと思いがちですが、そうではない。釈迦というのは、この地球上の如来にすぎず、お星さまはいくつもあって、それぞれの星(世界)に、それぞれの釈迦の役目を果たす如来がいるのです。これが仏教のパラレル・ワールド。その如来の中の如来、いわば king of kings が大日如来であります。

 如来というのは悟りを得た後の段階なのですが、菩薩は、まだ悟りに至ってはいないのです。但し、必ず悟りを得て、如来になることが決まっている物のこと。仏像を見る時には、イヤリング、ネックレス、ブレスレッドなどの装飾品があるのは、まだ菩薩で、悟りを開いた如来は、そんなものを身につけてはいないのです。だが、これが仏教のおもしろいところで、如来の中の如来、最も尊い如来の大日如来には装飾品が有る。わが身を飾ろうが飾るまいが関係ないほど偉いので飾るのです。

 

 まあ、「いつでも如来になれる身でありながら、馬鹿な衆生のために、人間界にとどまって、ひとりだけ悟って抜け出ることを、あえて放棄している仏」という説明が妥当と思います。東洋哲学科卒の三石でした!

 

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2015年

3月

30日

敢えて一言、もの申す

 千葉県の高校教師が、学校内にいた(生まれた)仔猫を生き埋めにした事件について、敢えて一言述べたくて書くことにした。

 この話をテレビ・ニュースの報道で初めて聞いた時、あまり関心も持たなかったのだが、あまりにもこの教師に対する非難ばかりが集中して強調されるので、やはり首をかしげたくなったのである。

 ご存知の通り、私は愛猫家である。猫ほど好きな動物は、この世に存在しない。だが、この事件についての世間の反応は、あまりにもヒステリックであり、どこかがおかしい。そう思う私は、現代の大方の感覚とずれているのだろうか。

 世の中に野良犬は存在しないが、野良猫はあちこちにいる。飼い主のいない犬は存在しない(してはいけない)ので、他人の犬を傷つければ刑事罰が下る。だが、猫は違うのだ。

 子供の頃、田舎では春先にもなれば、猫の子はビチビチと生まれた。野良猫はもちろんだが、飼い猫でも無計画に生まれた。そんな時は、生まれた瞬間に穴を掘って埋めるのである。それが当然の行為であった。

 少しでも間を置けば、愛情が移るので、生まれてすぐに始末するのである。時期を逃して始末をしそこねると、もらい手を捜すのに大いに苦労をする。そうなってから初めて、あるいは山に捨てに行き、あるいは川に捨てに行くのだが、どちらの場合でも、すぐに生き埋めにした時よりも心ははるかに痛むのである。

 ちょっと田舎の人に訊いてごらんなさい。直ちに生き埋めにすることこそが「正当な対処法」だと知っていますから。

 件の高校教師は、

「他に始末の仕方がわからなかった」

 と言い、それをもって世間の非難が集中したが、その教師の言う「他に始末の仕方がわからなかった」は、たぶん「その方法を知っていた」「そういうものだと認識していた」という意味であろうと思う。

 テレビのコメンテイター達が、

「今までにも、していたかもしれませんね」

 と言ったのが、ちゃんちゃらおかしかった。

 していたに決まっているのだ。それが方法だからである。動物愛護協会が、

「私達に相談してくれさえすれば。」

 って冗談ではありませんよ。田舎にはそんなものはありません。

 また、都会の愛護協会だって、貰い手のない猫は、その後「始末」するではありませんか。少し大きくしてからのガス室の方が、生き埋めよりも良いという理由は何か。そんなものはありません。

「命の大切さ、尊さを教えなければならない教育の現場で。」

 って笑わせてはいけませんよ。

 教えなければならないのは、生まれたての野良猫の命の「尊さ」なんかではない。

「畜生」と「人間」との決定的な違いなのです。

 猫の命を教材にしてでも、人の命の尊さを教えなければならないのです。こんなふうに「生き埋め」にされる仔猫とは、決定的に違うのがお前達の命であると、教えなければならないのが教師なのです。

 動物を「飼う」ということは、どういうことなのか。それならば「飼わない」というのは、どういうことか。子供達は知らなければならない。

 学校側は、保護者に対して説明会を開くと言う。

 どんな説明をするつもりなのか。毅然として、この教師が決して命を軽んじるような男(女?)ではないことを説明して欲しい。謝ってなんかほしくないぞ。

 私に言わせれば、鯨を食べる日本人に対してヒステリックに攻撃しているどこかの国の団体と、どこが違うのだと言いたい。中国では猫を食べますよ。犬だって食べますよ。私は食べましたよ。おいしかったですよ。

 私は、人後に落ちぬ愛猫家である。


(三石由起子)

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2015年

3月

16日

久しぶりの生演奏

 玄一さんのチェロを聞きに行く。

 クラシック音楽を日本人の身近な娯楽にしたいという玄一さんの願いが叶いつつあって、テレビ番組になりました。

 そのメンバーのコンサートで、いそいそとJTホールへ。(ここはいまだにホールに灰皿があります。)

 プログラムは、本物のクラシック初心者が楽しめるように配慮され、玄一さんのトークも楽しみのひとつなのですが、時々、わからんことをいう。

「ベートーヴェンは、”嫌になって死んだ”ですから、時代的には…。」

 と玄一さんが話していると、後ろの席のご婦人方が、

「何を嫌になって死んだのかしら。」

 と言う声が聞こえた。

 玄一さんは、ベートーヴェンの没年を1827(イヤニナ)って死んだ、と言っただけなのですが、やはり音楽家の常識はいきなり何気なく話されても困る人もいるのでしょう。

 バッハに素晴らしいテーマを与えた”フレデリック大王”の話になって、司会者と、

「あのジャガイモの?」

「ええ、じゃがいもの。」

 …って、何のことだよ?

 家に帰って早速、”フレデリック大王 じゃがいも” で検索。

 ほお、そうでしたか。


 フリードリヒ大王(フレデリック2世)

 ドイツで初めてじゃがいもが栽培されたのは1947年。

 宮廷庭師ミヒャエル・ハンフと宮廷植物学者ヨハン・ジギスムンド・エルスホルツによってオランダ庭園に倣って作られた観賞用の植物だったそうだ。

 その観賞用のじゃがいもを食用として広めたのがフリードリヒ大王を代表するドイツ・プロセインの大王だった。


 大王の”じゃがいも宣伝”は、”出征宣伝”と同じくらい有名だとあるが、どっちも知らんよ。

 7年戦争での兵士達の空腹を満たすことと戦後の食糧難の解決に役立ったらしい。

 この”じゃがいも宣伝”は、ベルリン一帯に栽培したじゃがいもを兵士に警備させて、農民達にその高価さ、貴重さを宣伝すること、また、兵士には「あまり厳重に警備をするな」と命じて、兵士の目を盗んでじゃがいもを盗ませ、自分達でこっそりと栽培させるというものだったそうな。食べるように勧めても、ドイツの農民は知らない食べ物は口にしないという習慣があったので逆手にとったものだったそうな。

 この思惑は見事に的中したらしい。本格的な栽培が始まったのは19世紀で、現在では50種類もあるんだそうな。

 人間の知識は一度得てしまえば“常識”になりますから、今度誰かが「フレデリック大王が…」と言いさした時には、

「ああ、あのじゃがいものね、」

 と反応できるというもの。

 めでたし、めでたし。


フリードリッヒ2世(1712~1786)

バッハ      (1685~1750)

ベートーヴェン  (1770~1827)

                 ↑

                嫌になって死んだ…です

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2015年

2月

10日

中島みゆき ライヴ・ビューイング

 ライヴ・ビューイングを一人で見に行く。

 マイクのダミ声を一度ちゃんと聞いてみたいと思っていたのは、時々、彼女の歌詞が妙にひっかかる覚えがあったからだ。

 だがこれはおいしい中華料理屋で三石が紹興酒をカパカパ飲んだからといって、紹興酒をプレゼントしてもらっても、何年も台所に放置してあるようなもので、決して中島みゆきのCDなど贈って下さるな。一生ききません。

 歌詞をよくよく聞いてみたら、縮尺と遠近法がホントに変で、それで印象に残ったのだな。

 空と君の間に雨が降る。天と地ではなく空と君。砂の中の銀河。

 想像は舞い上がればいいんか、地底に沈めばいいのか。

 高く飛ぶ燕に、空から地球という星を見せるというのだから。

 ただ、聞き取れない言葉もいくつもあった。

 う~ん、何だか惜しいな。

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2015年

1月

05日

新年明けましておめでとうございます

 今年は正月のRugbyがなく、駅伝の応援に箱根に行きました。

 ロマンスカーで新宿到着後、そのまま瀬古さんの慰労会へ。

 乾杯の音頭の第一声は、

「青山学院に敬意を表す」

 で、ございました。


 瀬古、

「青山学院は、チャラ山学院と呼ばれ、あそこには男はいなかった。

 渋谷で、女を連れて歩いているのは皆、チャラ山の男だった。

 だが創部10年にして、この快挙である。10年の努力というのはこういうものだ。

 一方、駄目になる方は、2年で駄目になる。

 駅伝はこのところ山登りを制するところが優勝している。

 だが、それが駅伝だろうか。

 私は2区をもくもくと走る選手こそ評価したい。

 5区の山登りのスターを作ろうとしている大学を評価しない。」


 今年の青山が強いとは聞いていたが、これほど強いとは思わなかった。

 鬼のように強かった。

 5区を出迎え、6区を送ったが、6区の三浦を応援するのと同じくらい、皆、青学を応援していた。

 大学駅伝、おもしろくなって来ましたね。

 6区で青学が出発してから、2位までの間、三石は悠々と煙草を1本吸えてしまった。

 神ちゃんは、きっと God と呼ばれることでしょう。

 

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2014年

12月

22日

映画『100歳の華麗なる冒険』を見る

 誰も彼もインフルエンザで、授業がパタパタと中止になり、思わぬ時間ができて久しぶりの映画館へ。

 スウェーデンのベストセラー小説のコメディだと聞いて、期待して行ったのに、腐れ映画だった。

 子供の頃から爆弾を作るのが大好きだったという老人が、100年のあいだに色々な歴史的事件に関わっていくというアイディアで、 ”フォレスト・ガンプ” の爆弾魔編といったところ。

 マンハッタン計画で、 “軽く” 原爆製造にかかわったり、悪意もなく ”うっかり” 人を殺したり、こんな物を見て笑える人間がいるのだろうかと思っていると、後ろから本当に嬉しそうな笑い声をたてている男の声がした。病んでいるよなあ。

 ”ゴーン・ガール” にすれば良かった…。

 スウェーデン人は、携帯投げコンテストや、エア・ギター・コンテストなど愉快なことを考える人々だと、ちょっと尊敬していたのに、そのイメージが全て吹き飛んだ!

 100まで生きて、こんな人生観しか持てぬなら、生きていくことはちっとも素晴らしいとは思えない。

 年末だというのに、全く年寄りに失礼なイヤな映画を見てしまったものだ。

 予告編に中島みゆきのライブ・ビューイングが少し流されて、まあそれを見たのを良しとしよう。

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2014年

12月

01日

ありがとう ホセ・カレーラス

 素晴らしい歌声でした。

 去年、マイクで若い女と英語の歌なんぞを歌った時、もう一生聞くことはあるまい(生で)と思っていたのですが、

歌姫「来日してくれる限り、行きましょうよ」

三石「いや、私はもうチケットを買わない。3万5千の価値はない」

歌姫「じゃ私が、還暦のお誕生日プレゼントを買う」

 と、6月に買ってくれたので行ったのでした。

 会場に入ると、マイクがない!!

 しかも共演者の女もいない!

 プログラムを見て、再びびっくり!!

 奴は本気で歌う気です!

 ところが出て来たホセは、曲目をひとつずつピアニストに指示し、ゆっくりゆっくり、語るように歌い出した。

 非常に狭い音域の曲から選び出し、一曲終わるごとに目頭を押さえたり、鼻を押さえたり、鼻をかんだりした。

 あらら、ホセはお風邪なのでした。

 それにしても自分の声と体調と歌とを知りきっている者の貫録で、聴衆はため息をつくばかり。

 ”目病み女に風邪男”どころではない。

 なんという色気であろうか。

 これがプロフェッショナルというものなのだろう。

 ホセは今年の4月にオペラをやったらしい。

 それで自信を持ったか、居直ったか。

 白血病に続いて再び不死鳥のように復活したホセ・カレーラスなのであった。

 休憩時間には煙草を吸うより先に、来年の予約にカウンターに走る。

「来年のチケットは、私が買わせてもらうからねッ!」

 歌姫と余韻を楽しむ。

 偉いもんだ。

 年齢だとか、風邪だとか、猫が死んだとか言ってないもんなあ。

 ホセ様は希望の星でした。

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2014年

11月

25日

とんでもない風邪

 とんでもない風邪(咳、くしゃみ、鼻水、声が出ない)をひいて、全てのコンサートをキャンセル(もったいない)しましたが、酒だけは飲めました。


医者「薬とお酒だけは併用しないで下さいね」

三石「飲む時は薬は服用するなということですね」

医者「え?それ違うでしょ?」

三石「そうでしょ。飲む予定が先にあるんだから」

医者「違うってば!」

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2014年

11月

20日

四天王楓江戸粧(してんのうもみじのえどぐま)

 スーパー歌舞伎というものを、初めて見に行きました。

 父兄のご招待でした。

 時代背景も、源頼光、四天王が出て来るかと思えば、急に江戸時代になったり、妖怪あり、狐あり、鶴屋南北って、こんな滅茶苦茶やってたのねえ。

 生活苦に陥って陰間かげま(男の売春)になって子守りに買われる公家や、辻君つじぎみ(street girlのこと)になる姫君が出て来たり、父兄が必死で時代背景を追おうとするので、

 「ムダ、ムダ。みんなでたらめだからね」

 と解説。でも江戸時代の庶民がどんなふうに歌舞伎を楽しんでいたか分かるような気がした。

 本来なら、昼夜通しでやる演目だそうで、5時間。

 猿之助(=昔の亀治郎)が、「いとこの小せがれめ!」とののしった子供は、市川團子(=香川照之の息子 9才)で、客席をわかせました。この子がいずれ猿之助になるのでしょうな。

 Metのオペラ並の舞台装置でした。ぎんぎらぎんは、やっぱりおもしろいな。




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2014年

10月

27日

ハロウィンとは何か?と、生徒に訊かれて

「う~ん。キリスト教の行事じゃないから、あまり良く知らんのよ。だけど、日本のお化けは夏に出るのに、西洋のお化けは寒い時に出るんだねェ」

 などと、いい加減なことを答えてから、はたと思い当たって、思い出したのは、『世間胸算用』の巻4の1「闇の夜の悪口」の中で、

「むかしは年のくれに魂祭して、いそがしき片手に香花をととのへ、神の折敷と麻がらの箸と、取り混ぜてのせはしさに、その頃のかしこき人、極楽へことわりなしに、七月十四日に替へける。今の智恵ならば、春秋の彼岸のうちに祭るべし。」

 という文章があった。

 平安朝までは、先祖供養というのは大晦日の行事だったのです。祖霊は年に二度、盆と正月に子孫の家に帰って来て供応を受け、子孫の家を守護すると考えられていて、未だに地方によっては、大晦日に祖先の「みたま」にお供えをする習慣が残っているらしい。

 そこでハロウィンを調べてみたら、この、もともとはケルト人のお祭りは、やはり大晦日だったのです。ケルト人の1年の終わりは10月31日で、この夜には死者が家族を訪ねて来る日だったのだそうな。

 ところが、祖先ばかりでなく、ついでに魔女や邪悪な物までもくっついて出て来るので、迎える方としても魔除けの火をたいたり、仮面をかぶったりするようになったらしい。

 日本でお盆に幽霊が出るのと同じ理屈というわけね。

 Happy Halloweenなんて、何が happy なのかと思っていたが、先祖を迎えるというのなら、happy で悪いとも言えないことになる。

 Halloweenの語源は、カトリック教会で11月1日に祝われる万聖節(=諸聖人の日、英語で All Hallows)の前夜(eve)が訛って Hallows eve → Halloween となったのだそうな。さすがのキリスト教も、民族の風習は禁止できなかったらしい。但し、これが馬鹿騒ぎPartyのようになったのは、やっぱりアメリカ人の”手柄”らしい。日本のクリスマスと同じということだ。

 Jack-o'-Lantern とか Will-o'-the-wisp なんてのは鬼火太郎とかワラ怪人三郎?で、ジャックやウィルはケルトの名前だったのか。

 日本では1983年10月にキディランド原宿店が始めたことだそうな。東京ディズニーランドでは1997年10月31日に初めてのパレードをしたらしい。それが現在では9月初旬からのイベントとして定着したという。

 お祭りや Party なんて多い方がいいのだろう。誰もが早慶戦や早明ラグビーに夢中になる訳じゃないものね。キリスト教は禁止する宗派もあるらしい。狭い了見だねえ。いいじゃない。

 

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2014年

10月

20日

映画『ザ・テノール』を見に行く

 ストーリーには興味があったものの、歌声は全く期待していませんでした。だってアジア人(=韓国人)のテノールだよ。

 ところが声を聞いて、わが耳を疑いました。

 終了後、「パバちゃんの声だったよね?」と言ったら、「うん。似てた!」

 最後のエンディング・ロールなど、絶対パバロッティだと思って、名前を発見しようとしていました。こんな歌手がいたなんて。早速帰ってからYou Tubeで見てみたら、本物だった!!

 実話というのもすごい。あんなになって妻にも子供にも当たらず、立ち直っていくのが男の中の男でした。それにしても人間の身体能力というのはすごいもんです。

 コンサートを調べてみたら、9月に大阪でやっていたのです、残念。次回、来日した時には何としても席をとらなくっちゃ。


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2014年

10月

14日

市瀬先生墓参

 一年以上もご無沙汰したおわびと、のんび荘の大将の御母堂のご冥福をお祈りしました。土曜日にのんび荘に泊まって、翌朝、顔を洗おうとしたら洗面所に御母堂の←が、かけてあってウルッと来ました。

 半田市から飯田の末っ子の息子(のんび荘の大将)を思って詠んだ句なのでしょう。(絵も)





 





 12日は、飯田市内の小学校は運動会でした。

「玉入れの 子に籠高し 天高し」

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2014年

10月

06日

ついに井原西鶴に手を出してしもうた…

 井原西鶴は実は浪人時代に読み出して、20才になるまでに『日本永代蔵』と『世間胸算用』の完訳をやったことがあるのですよ。

 何も知らず、よくもあんな真似ができたものだと、我ながら呆れます。

 しかも毎晩、酒を飲みながらやってたんだもんねえ。

 今回は、全く違和感もなく、スタスタとやっつけてしまいました。

 会話文は織田作之助の中途半端な訳文を見つけ、面白いので入れたら「気持ち悪い」と言われた。

 これは誰にでも読めます。

 乞うご期待。

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2014年

9月

29日

映画『アルゲリッチ』を見る

 すごい女だということはわかった。

 この映画は監督ステファニー・アルゲリッチの私小説だと思った。

 変な女を母親に持った娘の大いなる許しの物語であって、ピアニスト・アルゲリッチの映画ではない。

 最大限の優しさと読解力をもってしてもアルゲリッチの言葉は全くわからない。

 まるで、言語障害を持つ人間に哲学を語らせようとしているかのような映画だ。

 しかしステファニーの私小説ということで読解するなら80点。

 長い間撮りだめた時間の手柄というべきか。

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2014年

9月

22日

映画『柘榴坂の仇討』見て来ましたよ

 何年か前に藤原竜也が『最後の仇討』というのを主演した。これも仇討禁止令が出た後の仇討で、新旧の価値観それぞれが胸を打った。

 このタイトルを聞いて、

「そうだよなあ、禁止令が出たからといって、おいそれとは変えられない価値観に執着していた者は、一人や二人じゃなかったろうな。ヒトラーの側近の妻は、「誇りを失ったところで、子供を育てることはできない」と、我が子全員を手にかけたもんなあ…」

 などと思って見に行ったのだが、こちらは執着にエネルギーを燃焼し、疲れ果て、太政官の禁止令で蘇生した男(達)の物語。

 隣にすわった中年がボロ泣きして鼻をすすりあげるので、こっちもうるうる来た。

 昔、お散歩会で豪徳寺に行き、井伊直弼の供巡りの人々の墓を見つけて、ていねいにお詣りしておいて良かったなあ、などと思った。その時

「そうよねえ。井伊が暗殺されたってことは、当然、その周囲の人間はみんな死んでいるってことだものねえ。」

 と、あらためて思い至って頭を垂れたのだが、ホント、ていねいにお詣りしておいて良かった!廃藩置県の時、切腹した武士も多かったに違いない。今の“ひこにゃん”なんか見たら泣いちゃうだろうな。

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2014年

9月

22日

中巻できました。

 藤原道綱の母は、息子だけは、息子を思うと、息子は息子はと相当にうるさい!息子の恋文を全て見て添削なんかしちゃうんだから今の感覚だとあきれ返るのですが、文学が即座に政治力と結びつく時代のお話なのでした。

 

 今西祐一郎「蜻蛉日記覚書」からの抜粋です。

 

「『蜻蛉日記』上巻が兼家の詠草筆録という役割を帯びていたとすれば、道綱母は、「家の女性」でありながら、しかし摂関家有力者兼家の私家集的なるものの編纂という役目を担うことによって、摂関家文壇に関与していたことになる。」

「道隆や道長の父兼家の周辺には、その才気あふれる磊落な姿を仮名文で伝える役目を担う、清少納言や紫式部のような女房はいなかった。しかし、読者は『蜻蛉日記』の中に、後に太政大臣へと登る兼家の、『枕草子』や『紫式部日記』だったら記されなかったであろう、道綱母との贈答、愛人騒動といった若き日の天下人の素顔を、また伊尹『とよかげ』や兼通『本院侍従集』が正面から描かなかった官位の不遇や帝の代替わりによる栄達の姿などを読むことができる。

 すでに天下人と成りおおせた道隆、道長の姿を伝えることを役目とする『枕草子』、『紫式部日記』と、若き日の色好みとしての姿を伝える伊尹『とよかげ』、兼通『本院侍従集』、その双方の役割を『蜻蛉日記』はあわせ備えている。そして文学史としてみれば、『蜻蛉日記』は、摂関家における「家集」から「女房日記」へという文事の推移・変質の、その最中に位置して、両者橋渡しの役目を果たしているのであった。」


 

 息子・道綱はこんな男


 天禄元年12月(970年1月)従五位下に叙爵。のち、右馬助・左衛門佐・左近衛少将と武官を歴任するが、正妻腹の異母兄弟である道隆・道兼・道長らに比べて昇進は大きく遅れた。寛和2年(986年)の花山天皇を出家・退位させた寛和の変では、長兄・道隆と共に清涼殿から三種の神器を運び出すなど父・兼家の摂政就任に貢献。変から1年半ほどの間に正五位下から従三位にまで一挙に昇進し、公卿に列した。その後、異母弟の道長とは親しかった(妻同士が姉妹で相婿)こともあって、長徳元年(995年)道長が執政となると、その権勢の恩恵を受け、長徳2年(996年)中納言、長徳3年(997年)大納言と急速に昇進した。




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2014年

9月

15日

久しぶりのKindle出版『蜻蛉日記』です。

 今西祐一郎の判字と解説で、与謝野晶子の誤りを全て訂正した『蜻蛉日記』の出版です。今西の解説書や論文を読んでいると『源氏物語』の研究家が『蜻蛉日記』の研究をせざるを得なかった必然性がひしひしと、また、びんびんと伝わって来ます。それはあたかも新約聖書を読む人間が、旧約聖書を読むのが必然であるがごとく、また京都の専門家が奈良に辿りつくがごとく、必然とはこれをいうのであろうと思われたのでした。

 それにしても一夫多妻の辛さを嘆くというだけの物であれば、三石は一生読むこともなかった。

 

 これは三石による今西論の抜粋で、『蜻蛉日記(中)』に詳しく述べています。

 

 兼家と対立した状態からは日記は生まれなかった。執筆当時、作者に対する兼家の気持ちは決して背反したものではなく、協力し得る状態にあったと言って良い。兼家自らの家集でなかろうと、道綱母との贈答歌を中心とした家集が道綱母の手によって編纂されることは、兼家が和歌的実績を顕現するに充分効果的であった。安和元年を下ることそう遠くない時点で、結婚生活十五年間に堆積した家集纂集を兼家が要請したのではなかったか。兼家の歌は当初から道綱母の手元に保管されていた。彼女は世に認められた歌人であると同時に、兼家の歌の管理者であった。身分的階級的落差、あるいは彼女の性格的問題性を越えて、結婚生活が長期に継続したのは、兼家が彼女の歌人としての資質を尊重したからである。それは歌人としての能力ばかりでなく、歌の管理者としての能力であった。

古代文学においては、何らかの効用を抜きにして作品の存在は考えられない。藤原氏私家集隆盛の先駆となった実頼、師輔、師氏三人の集は、決して純粋な文学的衝動のみで編纂されたものではない。その成立には、骨肉相喰むと言われた藤原政権の争いと反目があった。彼ら権門にあって私家集は『後撰集』とともに権力表示を意図したものであった事を忘れてはならない。


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2014年

9月

08日

龍虎さん告別式

 受付は早稲田のチア・リーダー達でした。

 弔辞を読んだ大の男3人(北の富士と、御友人とアナウンサーの生島ヒロシ)が、大泣きしました。

 御友人は、「そっちでうまい店捜しといてくれ」と泣きました。

 北の富士は、「俺は、日本人の横綱を見るまでは死ねないんだ!」と、泣きました。

 生島ヒロシは、聖書の伝道の書を引用しました。僧侶達の前でいい度胸だと思いました。

 出棺は皆で拍手で送りました。

 元応援団が「龍虎!」と叫びました。

 本当に良い葬儀でしたよ。

 貴子さんが「亡くなってもしばらくは耳が聞こえるのだと聞いておりましたので、感謝をたくさん申しました」と言っていたのが印象的でした。

 龍虎さんは、早稲田の応援をするチア・リーダーの娘の応援にいつも来ていて、(早稲田の応援ではなく、娘の応援)試合が終わった時に、「ところで今日の試合はどっちが勝ったんだ?」と訊いたというエピソードを残しています。

 今年の正月2日には駅伝の応援に出発の大手町で会い、帝国ホテルで朝食をご一緒しました。私が日本酒を頼むと、龍虎さんも頼み、奥さんに止められて、

三石「お正月ですから、いいじゃないですか?」と言うのを「ねえ?」と見上げたいたずらなお顔が最後になりました。子供達には「死んだら富士山を見て父だと思え」と言い置いていたそうです。

 安らかにお休み下さい。  アーメン

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2014年

9月

01日

本当にSpecialなConcertでした!!

 渡部昇一先生が、にこにこと本当に嬉しそうだったのが印象的で、とにかくものすごく贅沢な感じがしました。嬉しい音楽会でした。音楽というのは本来、こういうものなのではないかと思いました。

 ものすごく変な感想ですが、「この人は、今からどんどんうまくなるだろうな。」と思いました。ピアノを再開したのが4年前の金婚式(=74才)で、現在は78才。息子達もその友人達も日本を代表する演奏家達です。

 そんなものに伴奏させてモーツァルトのピアノ コンツェルトを弾くんですもん。クラシック一筋という潔さも素敵です。今からの世の中で求められる種類の音楽家を見たという思いでした。

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2014年

8月

25日

ついにビア・ガーデン

 今年は、どこもかしこも予約でいっぱいでビアガーデンに行けなかった!! 池袋も有楽町も日比谷もビルの上のビア・ガーデンは、いつの間にか姿を消してしまった…。

 デパートの上で、大人がビールを飲み、子供が走りまわって、金魚すくいや、スーパー・ボールすくいをするような風物詩は、とんとなくなってしまった。普段、ビールなんて全く飲まないのに、行けないとなると、やたらに恋しいビア・ガーデン。そういえば、ビア・ホールなんてのもなくなってしまったね。池袋のミュンヘンなんて、やたらにうまいfiddlerがいたものだが。

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2014年

8月

22日

子育て本、評判は良いらしい…

三石由起子先生

 

 

こんにちは、

メタホドスは毎度面白く拝見しております。

 

『母親の貫禄』は、おかげさまでなかなか好評です。

感想のお電話も寄せられ、嬉しいお話をいろいろ聞かせていただきました。

 

たとえば、高校生と小学低学年という年の離れた子どもをもつ母親から、

それぞれに抱えていた悩みや不安が一気に解消し、

またこれからの指針をいただいた、というもの。

(子育て本の多くは、年齢を刻んだテーマであるため、

これまで参考になる本がなかったそうです)

 

また、先生の考え方に触発された方からは、

子どもと源氏物語をテーマに、恋愛話をしてみたくなったとか。

調子よく? キンドルの「これで読破シリーズ」を紹介しておきました!

ちなみに、いきなり「読破シリーズ」の入手方法を聞く方もいましたよ!

 

さらに、カリスマ書店員として全国的に有名な、

盛岡のさわや書店の店長さんからも、

絶大なお褒めの言葉をいただきました。

さわや書店では、ワゴン展開されています!

 

三省堂書店をはじめ、書店員さんからも概ね好評価をいただいているのですが、

欲を言えば、もう少し数字につながって欲しいところ。

まだまだ、これからも期待したいと思っております。

 

ではでは、簡単ではありますが、状況のご報告まで。

残暑はまだ続きそうですが、先生のパワーなら大丈夫ですね!

またメタホドスを楽しみにしております。

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2014年

8月

18日

武市先生墓参

 お盆の時期になると、シャトル・バスが上まで行ってくれないので、気が気ではなかったけど、ギリギリセーフの墓参でした。

 中途半端な時間だったので、飯能行きの準急に乗ったら、小学生の男の子ふたりが、実に熱心に戦国武将の話をしていて思わず聞き入ってしまいました。

 途中から野球の話になって、さっぱり分からんので本を読んでいたら、気がつくと再び歴史の話になっていて、「しまった!聞き損ねた!」

 ああ、夏休みだなあ。子供の雑談は、おもしろい。

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2014年

8月

11日

ミイの名言

 先日、待ち合わせの時間の30分も前に目的の場所に着き、暑くて外にいられない。目の前のユニクロに飛び込んだら、ムーミンのTシャツが限定特別割引とか書いてある。そう言えば意地悪な小娘のミイが可愛かったなあ、と思い出して、つい一枚買ってしまった。800円しませんでした。そんな話をしていると、父兄が「ミイの名言というのがあって、いいこと言ってるんですよ。」と言うので、早速インターネットで検索してみたら、本当にそういう項目があった。

 さあ頑張りなさい。なんて言うセリフは久しぶりに聞きました。

 何だかみんな三石のセリフのような気がします。

 ひとりで楽しむのも、もったいないのでおすそ分け。

 

  ミイの名言

 

 立秋も過ぎました。残暑お見舞い申し上げます。良いお盆休みをお過ごし下さい。

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2014年

8月

04日

労災?

 合宿が終わった2日後から、毎日来ている子ども達が、会うたびに懐しげに挨拶をしているのが何とも不思議です。『ソクラテスの弁明』を読んでいる子に、少し哲学の話をしたら、「家庭教師を無理矢理やらされて死んじゃった哲学者もいるんだよ。三石先生、ちゃんと労災には入っておいて下さいよ。」とヌカした。
 そういう問題でしょうか。
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2014年

7月

29日

教育で最も必要なもの

 三石メソード夏季合宿三日め。高校生の英文解釈の問題で、「教育で最も必要な物は何かと訊かれると、日本人の教師はたいてい love だと答えるが、日本人以外の教師は communication だと答える」というのがあり、生徒たちに最も必要な物は何だと思うかと試しに訊いてみると、

 生徒1「優しさかなあ。」

 生徒2「え?教師に優しさは必要ないよ。」

 三石「お、さすが三石の子供だねえ。」

 生徒1「三石先生優しいよ。」

 うる、うる、うる…涙。

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